cmである。東側脇陣(寺伝では楽人所という)の東面する側四面は,向って左(南題等からも特に興味が持たれた。従来より独立した画題としての花鳥図は,平安・鎌倉時代の障屏画を中心に,遺例はもちろん記録の上でもその希観性が指摘されてきていた。ところが,室町末から桃山・江戸初期のいわゆる狩野派以降の障屏画では,花鳥図は最も中心的な画題として描かれている。その疑問に答えるものとしては,『李朝実録』や『善隣国宝記』等に記された明や朝鮮への進物としての金屏風(「塗金屏風」・「貼金屏風」・「金装屏風」・「装金屏風」・「帖金屏風」)の花鳥画史料であり,一方,遺品上の障屏画作例では,延徳二年(1490)の旧養徳院薦雁図襖絵八面,翌三年の真珠庵客殿花鳥図襖絵十六面(長谷川等伯補筆),伝雪舟糸花鳥図屏風等漢画系の諸作例,さらに大和絵系では,出光美術館蔵「日月四季花鳥図」屏風六曲一双を始めとする数双の屏風類であろうか。いずれにしても遺例は数多いとは言い得ず,遺例における漢画系と大和絵系の様式上の遥庭は大きく,また特に,十五世紀中頃までの作例は,出光所蔵本を考慮したとしてもほとんど数え得ない。以上,様々な状況から,十五世紀前半の制作年を一応考慮される鶴林寺作例には,多種多様な研究課題が要求されるが,剥落や傷みの甚しい現在の姿からは,まず,制作当時の状態を少しでも正確に把握する作業から緒につくべきであると考えさせられた。播磨平野東南部の加古川市(兵庫県加古川市加古川町北在家)に位置する刀田山鶴林寺は天台宗の寺院である。仁王門奥に南面する本堂は当初は大講堂ともいわれ,七間六間,一重,入母屋造,本瓦葺の建物で,和様・大佛様・禅宗様の折衷様式の中世密教寺院本堂の典型として,大阪河内長野市の観心寺とともに国宝指定をされている。本尊薬師如来座像(秘佛)を安置した厨子を含む内陣宮殿部に残された応永四年(1397)銘の棟札(参考図R参照)から,本堂自体もほぼ同時期の建立と見倣されてきた。充実した構造細部を有する高大な外陣と,上部を略式にして華美な意匠の厨子と仏壇に重点を置いた内部構造をもつ内陣を組み合わせた構成は,南北朝から室町中期の典型的性格を示すもので,現存室町時代密教本堂の最高傑作とまで評されている(参考図(B)参照)。花鳥モティーフが描かれる杉戸障子八面とは,内陣宮殿部の左右の両脇陣境の中敷居付板戸引違構え四面づつの計八面であり,一面の法量は,縦約160cm,横約110側)より,①二羽の鶴,②松と梅,③判別不可能,④二羽の雁(鴨か)が描かれ,-150-
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