2.鶴林寺本堂杉戸障子絵調査の他に,観心寺,法道寺の寺院壁画,さらに東京国立「長谷雄草紙」や「法然上人絵伝」(四十八巻本)をはじめとして絵巻物画中資料による杉戸や戸障子をみると,同時期の襖障子や屏風類の資料と比較して対象モティーフの近接拡大的構図や明快で簡明な描写表現の傾向と共に,花木や禽鳥(いわゆる花鳥),走獣等が多く描かれているという画題上の特色にも注目される。また,「親賛上人絵伝」巻4の花鳥図や「誉田宗磨縁起」巻三の水墨山水図等には,四面以上に図様を連続させた大画面構成が見られるが,実作例の欠如から画中資料という制約を強く考慮して勘案するにとどまっていた。しかし,鶴林寺本堂杉戸障子八の存在は,画題上からも対象モティーフの表現法や構図法からも,また,何面も連続する大画面構成の点からも絵巻物画中資料の示唆と密接に関連するといえよう。また,今回の調査の新収穫の一つとして,画中資料等では確認し難かった大画面構図構成における雲霞の役割の顕著さが確かめられ,中世大画面絵画における雲霞(近世の障屏画では,大樹とともに図様構成上重要なー大要素となり得た)の研究にも新たな興味ある問題を提供するであろう。本堂建立の応永四年(1397)以降から正長・永享の室町中期までの鶴林寺は中世における復興期,寺観の充実期であったといえる。応永十三年(1406)鎮守山王社,十四年鐘楼(高麗鐘施入)と優れた建造物(いずれも重文)が次々と建立され,力なパトロンを有した寺運の盛んな時期を推察させる。この応永復興のパトロン(外護者一説には赤松氏か?)は文献史料の欠如からつまびらかではなく,本堂杉戸障子絵に関連する史料も現在まで見出されてはいない。今回の調査等によって蒐集された諸データの分析(写真資料も含めた)や建築史的観点からの考察も含めた諸問題の検討がこれからの課題であり,中世障屏画,特に花木花鳥図の研究に資するところ大きいと考えられる。博物館法隆寺館所蔵「商山四皓・文王呂尚図」屏風二曲六隻,大東急文庫蔵「山水屏風」六曲一隻,さらにリストR群におけるやまと絵障屏画の中から当麻奥院蔵「十界図屏風」以下数点の調査(データ蒐集,写真蒐集)等を実施した。時代と画面形式だけを「南北朝,室町時代ー14C後半〜16C前半)」,「障屏画ー大和絵を中心として」等と制約するのみで,敢て意図的に広い領域の調査とデータ蒐集を当初より目的とした為,本日までの段階では終局の目的とする個々の諸問題の検討・総括の段-152-゜
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