鹿島美術研究 年報第3号
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じしわが国の獅子の源流となったのは唐代のそれである。まず,遺例によりその様相を窺うと,R興福寺香原馨の獅子⑤東寺五大虚空蔵中の金剛虚空蔵像の乗る獅子は,狛犬的な守護獣ではないが,唐代の獅子表現の二つの典型ともいえるものである。Rは,耳を立て,四肢を折って躊る姿で,たて髪を乱し,檸猛な野獣を極めて写実的に表らわしている。一方,⑤,847年に帰朝した恵運の請来になるもので,耳を垂れ,四肢を伸すもので,肉身太り肉となり,たて髪は後方に流れ,やや垂れ目のおっとりとした趣きがある。Rが野性味を写実的に表らわすとすれば,⑤は,仏に服従するかのように,おとなし<馴れた獣の姿である。このように唐代では二様の獅子表現があったことが窺われるが,仏前の二獅子などには⑤がよく用いられた。例えば,金剛峯寺・普門院・乾家などの檀寵像(枕本尊,いずれも唐代)の獅子は,頭部大きく,たて髪を後へ流す⑤型の獅子である。このような観点に従って,わが国の獅子・狛犬の表現を辿ってみる。奈良時代の狛犬の遺品はないが,①正倉院紫檀柄香炉の炉縁と鎮の獅子②当麻寺当麻曼荼羅厨子台輪上の獅子などの例がある。①は後肢を曲げて,正面向きと後を振り返るのとの二躯で,頭部大きく,太りぎみで,⑤の形式であることは明らかである。②は,厨子の屋根を支えるという構造上の制約があるが,後肢を折って躊るポーズで頭・胸部が大きく,四肢は細かく,たて髪が濡たように体について流れている。やはり⑤の一変形と見られる。少し時代の下る,岡山・高野神社の狛犬一対は当麻寺像の形式を受け継ぐ珍しい例である。平安時代に入ってもなお奈良風の獅子の伝統は強く,③薬師寺狛犬④春日大杜獅子などが考察の対象となる。③はその洲浜座に「口治元年」に造進された旨の墨書がある。これを何年にあてるかは問題外として,とりあえずその表現に着目すると,短躯で,前肢を引きつけて胸を張る姿勢は奈良風の狛犬独特のものであるが,頭部が小ぶ-156-

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