鹿島美術研究 年報第3号
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この流れは鎌倉時代になっても,なお藤原風を受け継ぐもの一~例えば厳島神社のきは,いずれも頭部が小さく,脹らんだ胸部と一体化してしまったような趣きを呈することである。頭・胸部が一体となるという点では,②の当麻寺像などに近いが,より根本的には,⑨の精惇な獅子の形式だけを採り入れていることに気付かれる。従って,獅子における和様化とは,⑦のような⑤型獅子を脱して,⑧型獅子の特徴を採用して,この時代らしい優しく静かな獅子を創り出すことにあったと推測される。このことは,仏像においても対応する関係が指摘でき,仏師定朝は,それ以前の彫刻の様風を離れて,奈良風を習うことで和様を完成したのであった。⑩は狛犬ではないが,細身の獅子で,頭部は小さく,たて髪は後へ流れており,⑧⑨と同じ作風が和様の獅子として,この時期に広く行われたことを物語る。⑨以外の作例ーーには遺っている。しかし先に挙げた⑤⑥の奈良風の狛犬とは別に,⑪高山寺狛犬(仏師湛慶作)(4対)⑫八坂神社狛犬⑬白山比眸神社狛犬⑭丹生都比売神社狛犬などのように,全体大振りで,頭部大き〈,たて髪をふり乱す獅子が登場し,以後これがわが国の獅子の主流となる。この表現がどのような筋合から生れたものかは,未だ確定した答えを見出しえないでいるが,次のような仮定も成り立つのではないかと考えている。すなわち,唐風獅子のうち⑨の荒々しい表現が鎌倉時代の気風とマッチし,さらに宋からあらたに移入された獅子のうち,頭の大きなものがあることから,これらのものが影靱したのではないだろうか。ちなみに獅子頭の大きさを見ても,平安時代後期のもの(例えば法隆寺面)の小型なのに対して,鎌倉時代になると(例えば丹生神社面,御調八幡宮面)大きくなるという傾向も対応関係にあるといえる。このような動きに対して,この頃あらたにもたらされた宋代の獅子,またはその直模と思われるものがある。⑮東大寺南大門獅子⑯宗像神社獅子⑰由岐神杜獅子⑱観世音寺獅子-158-

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