鹿島美術研究 年報第3号
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聞16世紀イタリアの美術家と古代遺跡(継続)⑮は『東大寺造立供養記』によれば,もと南中門にあったもので,中国から石材を求め,宋人字六郎らがつくったという。左右つくりが違う点が注目され,東方像は頭部小さく,Rの流れを感じさせる。ところが⑯〜⑱は,仔獅子と戯れる獅子と玉を取る獅子の一対で,頭が大きくなる。これらは,前述のようにプロボーションが,わが国の鎌倉時代の狛犬に近いという以外は,あまり影響を与えることもなく,また後世造り継がれることもなかったようである。以上,わが国の獅子の表現を,狛犬と文殊菩薩の獅子を中心に眺めてきた。その結果,唐風という様式が,形を変えながら常に規範となってきたし,また唐風からの脱皮をめざした和様の完成も,それまでは使われていなかった別の唐風への回帰ではなかったかとの想定を得た。鎌倉時代以降の複雑な様相については,さらに深く考察の必要を感じている。研究者:学習院大学人文科学研究科博士課程末永調査研究の目的:イタリア・ルネッサンス期の美術家たちにとって,ローマを中心とする古代遺跡が重要であったことは疑いをいれない。そうした美術家と古代遺跡の関わりを解明するため,この時期の美術家たちが残した古代遺跡を描出した絵画資料ー版画,素描,絵画は最も重要な手がかりを提供するものであろう。これら資料について,基礎的調査研究の不足を補うことが本研究の目的である。な対象としてはセバスティアーノ・セルリオを筆頭に,セルリオの育った16世紀初頭のヴァティカノ工房,ヴェネツィアを中心とする北イタリアの美術家たちの活動を中心に考えた。研究報本研究の性格上,断片的にならざるを得ないが,まず昭和60年8月23日から9月25日まで,ヨーロッパでの調査を中心に報告する。当初の計画をやや変更せざるを得なかったが,いくつかの知見を加えることができたのは幸甚であった。第一にユーゴスラヴィア,イストリア半島南端の街プーラ(Pula。古名・イタリア語名はPola)をはじめて踏査できたことが成果の一つである。プーラはユーゴスラヴィア建国以前はイタリア領であり,永くヴェネツィアの影縛航-159-

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