下,支配下にあったこの街は,またローマ遺跡の数多い処でもある。イタリアではローマ市に次ぐといわれるヴェローナの遺跡群と,おそらくは肩をならべるものであろう。16世紀ヴェネツィア共和国に縁の深い,セルリオ,ファルコネット,パラーディオ等がこの街の古代遺跡を描いた多くの図を遺している。しかし現在イタリア領内からはずれている為か,ローマはもとよりイタリア国内の各都市に比べて,古代・現代の地誌学的資料がほとんど入手できず,ルネッサンス期の美術家による図を実際の遺跡と比較研究することの大きな障害となっていた。今回は著名な円形闘技場,セルギウス門などの他,双子門,アウグストゥス神殿その他市内に散在するほとんどの遺跡を訪ね,写真撮影することもできた。多くの建築の断片を含むイストリア半島全体の古代ローマ遺物の充実したコレクションを持つイストリア考古学博物館も見学し,またここで日本や西欧では入手しにくい調査報告書等の資料を得ることもできた。他には,前述の素描の類にいくつか描かれ,16世紀にはかなり大きな遺跡であったと思われるザロ山の大劇場が,現在ほとんど姿をとどめていないことが判明した。つぎに北イタリア,ヴェローナを再訪し,未見であったガーヴィ,ボルサーリ,レオーニの各記念門を実見し,写真撮影も行った。殊にレオーニ門は,いずれも古代ローマの作例ながら,古くからあった正面の20センチメートル程手前に新しい正面を別に,かぶせるように建て加えたという複雑な構成を持つもので,両者共ルネッサンス期の図が多く遺っている。この構成を実際に見て理解できたことは有益であった。とき,先のプーラは,ほぼ正確な図面等を得ることのできる(即ち,美術家の中の誰かが実際に訪ねて素描,作図できる)場所として最も東北に位置した。またヴェローナに代表される北イタリアの遺跡も,16世紀初頭,ょうやく本格的な古代建築の研究をはじめたローマ,ヴァティカノの美術家たちにとっては,情報の得にくい,あるいは視野に入りにくい存在であったと思われる。従って基本的には,世紀初頭ローマで,ラファエルロを筆頭として行なわれるようになった古代遺跡調査は,まずローマ所在の遺跡が主な対象であり,それらに参加した弟子達を含むヴェネツィアを中心とする地方の美術家たちが調査をはじめる次の世代に至って,北イタリア以北,以東の知識が加えられ,新たな広がりをもつようになるといえる。しかしこの過程で,例えばローマの美術家によると思われる図にヴェローナ,プーラ等の遺跡を描いたものも皆無16世紀において,イタリアの美術家たちが古代遺跡についての知識を得ようとする-160-
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