30日)本研究の中で当面残された課題は,この版画集ともいえるセルリオの書物の書ではない。おそらくは他の人物の図を写したもの,また伝聞を図に描いたものなどと思われるのだが,こうしたことの判断の為には,その図の正確さを知ることが第一に必要となる。その為にも今回得られた知見は有益なもので,前述のような過程が実際にはどのように進行したかを解明する手がかりを与えてくれることになると思われる。フィレンツェではウフィツィ美術館版画素描室で,セルリオの作である可能性が指摘されている版画を調査することができた。古代風の都市景観を描いたおそらくは舞台情景の図で,「S・B」というイニシャルが付され,セルリオに帰する考えを否定できない。しかしウフィツィ所蔵のものは,雑多な大量の版画を貼り込んだ古い画帖の中の一点で,同じ画帖にはかなり揃った形で集められた他の連作版画がいくつも入っている。一部の研究者が想定するように,セルリオ『建築書』の前段階で企画された銅版画連作の一部が本作であるとすることは,他に他の部分をなす版画が一部でも発見されない限り,現状ではやや無理があるように思えた。しかしいずれにしても,16世紀イタリアにおけるこうした銅版画の製作には,古代遺跡の調査と軌を一にするように,ラファエルロを中心とするヴァティカノの美術家たちが,一時期を画する大きな役割りを果していると思われる。セルリオを含めて,こうした美術家による版画の生産と流通,受容の実態を把握することに,今後つとめたいと思う。従来から筆者が主たる関心を寄せてきたセバスティアーノ・セルリオに関しては,『第三書(古代遺跡)』の内容目次を公刊し(拙稿「セバスティアーノ・セルリオ『建築第三書』の古代遺跡」『イタリア学会誌』所載,昭和60年),この中でセルリオの扱った古代遺跡のほとんどを現行の名称により同定することができた。併せて各遺跡を描いた他の美術家による図を可能な限り照合し列挙した。『第三書』の内容についての分析は既に発表し(「古代遺跡と古典主義一一ーセバスティアーノ・セルリオ『建築第三書』について」『学習院大学文学部研究年報』第31輯所載,昭和60年),また今回のヴェローナでの調査等を加えた報告を口頭で行った。(日仏美術学会例会,昭和60年9月誌作成である。この書誌が完成すれば,先に述べた版画の生産・流通・受容の問題についても全ヨーロッパの広がりを持つ一例を提示することになる。既に世界の主要な図書館100以上に対する調査依頼を続け,所蔵箇所のファイルを60余の版種の全てにわたって作成し,各版1■ 2部のマイクロ・フィルムをほぼ収集し-161-
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