鹿島美術研究 年報第3号
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2)ヴァン・ゴッホ展,国立国際美術館1986,2月ー4月,カタログ。0 J. J.ファン・デル・マーテン『麦畑の葬列』,(アムステルダム大学図書館写本室蔵)に姿を消し,太陽,月といったモチーフに置換される。画家になってからも聖書的意味体系をその主題系のなかに引きずっていたファン・ゴッホは,教会を太陽に置換するというモチーフ操作を行なうことによって,宗教の人間化,自然化というカーライル的な行為を行なっていたのである。この研究の調査段階において,いくつかの興味深い資料,事実を見つけることが出来た。主なものを以下に列挙する。0エリザ・ローリヤールの著作:ローリヤールはアムステルダムの説教師で,ファン・ゴッホもその説教を何度か聴いている。彼の著作は当時の牧師の自然観や教養的基盤を浮き彫りにし,ファン・ゴッホやその同時代人の自然観を知るうえで大変貴重なものであった。この版画は,ファン・ゴッホがアムステルダムで神学部に入る準備をしていた頃,当時の彼のギリシャ語,ラテン語教師メンデス・ダ・コスタに送られたもので,これまで全く紹介されることがなかった。この版画の余白にはファン・ゴッホ自身によるき込み(英・蘭語の詩文,ラテン語聖書引用)があり,これらの文は版画の図像とも関連性をもっている。神学者文化とファン・ゴッホをつなぐ数少ない貴重な資料のひとつとなろう。0「太陽の祭典」:ファン・ゴッホのアルル行きの動機については,これ迄はっきりとしたことが分かっていない。ファン・ゴッホがパリにいた頃(1886-87),南仏はローヌ川の洪水で大被害を受け,その救済キャンペーンとしてパリの産業館などで「太陽の祭典」と題したフェスティバルが催された。ファン・ゴッホがこれを見たという確実な証拠はないが,その内容,規模から判断して,ファン・ゴッホのアルル行きに何らかの刺激を与えたことはおそらく間違いがない。この祭典の間,人々はパリでアルルの女も怪獣タラスクの行進も,そしてその他多くの南仏の風物を見ることが出来たのである。この展覧会は,作品を主題別に分けて展示する試みで,現在行なっているファン・ゴッホの主題系研究の一端をなす。序文においては「掘る人」のモチーフが彼の全作品中においてどのような意味的役割に担っているか,そしてこのモチーフの選択がどのような意義をもつかという問題を扱った。「掘る人」はファン・ゴッホにとって創世-164

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