食い違いにより,またもう一例では視覚的な遮蔽物により,そこに描かれている場面の内容は連結していないのである。従って,景転換が時間的連続性を希薄にするとう点では,この二例も霞や雲を用いる方法と近似した構造であるといえよう。以上のことから,本絵巻の時間構造は,多少の例外はあるものの全体としては,連続性の表現を積極的に取入れたものではないと結論せざるを得ない。千野は『源氏物語絵巻』における時間表現について発表した。源氏物語など,いわゆる段落式の絵巻の画面を見る場合,われわれは普通,それが詞書に記された物語本文の中のあるー場面を描いたものであると考えている。時間とともに次々と展開する物語に対し,段落式の絵巻の場面は一定の枠組の中に静止しており,その情景は,ある瞬間のスナップショットのように見えることが多いからである。しかし源氏物語のうち,例えば『蓬生の段』について考えてみると,そうした先入観が,実は誤りであったと言うことに気づく。蓬生の場面は,右上に荒れ果てた建物の中の老女を,左下に源氏と従者を描き,源氏の頭上に松の枝と藤の花をわずかにのぞかせる,という構成をとっている。これらを物語本文と照合すれば,まず,松に藤とは,源氏がそれを見て末摘花のことを思い出す,という役割を担わされたモチーフである。物語本文では,この時,源氏はまだ末摘花の邸の外にいる。次いで,従者の惟光が邸内に入り,あちこち歩き回るうち,ようやく建物の中で御簾の動く気配があり,その奥に老女の姿をみつけることとなる。絵の右上に描かれた建物と御簾と老女は,この時の情景を表わしたものであろう。物語本文はこの後,老女をはじめ女房たちと惟光の会話を経て,邸の外で待つ源氏が戻ってきた惟光の報告を聞き,いよいよ邸内へ入ってゆく,という展開となる。惟光は馬の鞭をもって,草の露を払いながら源氏を先導するのである。絵の左下に描かれた情景は,まさしくこの時の姿そのものといえよう。とすれば,『蓬生の段』は,少なくとも物語本文の三つの段落をそれぞれに描き,全体を一つの画面に纏め上げたものと言うことができる。スナップショットのようにある瞬間を切り取ったものではなく,複数の時間が合成されたものなのである。しかも,それは単なる寄せ集めではなく,意識的に,一つのまとまりを持つ画面として構成されている。『源氏物語絵巻』には,この他にも,『鈴虫(二)の段』を始め,複数の時間を合成して創造したと思われる画面が多い。『信貴山縁起絵巻』など,いわゆる連続式の絵巻のみならず,『源氏物語絵巻』をはじめとする段落式の絵巻にも,今後,詳しい検-170 -
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