鹿島美術研究 年報第3号
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ビザンチン絵画は画ー的で,画家は自己表現を抑制せねばならなかったという見方は,ビザンチン研究のはじまった19世紀以来のものであった。たしかに聖母子のイコンをみると,どれも同じで,正面向きのマリアは左手にイエスを抱きかかえ,右手をひろげてイエスを我々に示す。イエスも体は左のマリアの方にやや向いているが,顔は正面を向き,左手に巻物をもち,右手をあげて祝福のポーズをしている。この聖母子像はいわゆる「ホデゲトリアの聖母子」と呼ばれるもので,11世紀より作例が現存している。しかしこの聖母子像が同じ形を守っているのは当然のことであって,にあるホデゲトリアの聖母子像はみな,画家でもあった福音書記者ルカ自身の描いた聖母子像のコピーであることに由来する。つまり聖母子像をはじめ,キリストや聖ニコラなどのイコンは肖像画なのであり,しかも由緒正しいもののコピーとして写された訳であるから,同じ形が守られるのは当然であった。しかし,肖像画としてのイコンではなく,聖書物語を絵にしたイコンの場合はどうか。「変容」のイコンについて見てみると,描かれる人物は6人,中央に光り輝く円光の中にイエスが立ち,その左右に,イエスにむかって立つモーゼとエリア,その下方に,イエスの足許の山岳風景の中に,驚きつつ仰ぎみ,顔をそむけ,地に伏す弟子のヨハネ,ペテロそしてヤコプである。このように言葉で記述できる範囲においては,「変容」のイコンはすべて同じといえる。しかしそれ以上に,人物のポーズが同じ形を踏製しており,ビザンチン絵画は画ー的だとの印象をたしかに与える。このような時代と場所を超えて同じ形が繰り返される作例を前にして,それを説明するのに,1839年フランスのディドロンによってアトス山でイコン画家が使用しているのが発見されたヘルメネイア(絵画指南書で,技法の伝授に加えて,図像の指示を記した書物)が,大いに歓迎されたのもうなずける。それは相次いで各国語に翻訳され,オリジナルのギリシア語本文も1909年,パパドプロス・ケラメウスによって出版された。また,当時ロシアのイコン画家たちが使用していた絵画指南書はポドリンニクと呼ばれ,これはヘルメネイアとは異なり,図像を指示する挿絵が付いたものが普通であった。現存する最古のポドリンニクは挿絵なしの16世紀のもので,1873年に出版され,挿絵付きのものは1903年に出版されている。このポドリンニクヘの関心は,ロシアにおいても19世紀後半の民族主義の動きと軌を一にする。ダーリのロシア語辞典の刊行,アファナーシエフのロシア民話の集成,音楽ではムソルグスキーやボロディンらの国-172-

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