の配置や衣紋の線を守らねばならなかったと考えるのは,画家の仕事のプロセスを考えるのに余計な複雑さをもたらすだけである」と結論している。画家は修業時代に学んだ様々な形,それを自家薬籠中のものとしてその時々の課題に応じて臨機応変に使用することができた。その例として,セルビア14世紀はじめ,いわゆる「ミルティン王時代の様式」の代表作の一つである,ストウデニツア修道院内の聖ヨアキム・アンナ教会のフレスコ画を例にして見てみよう。これは幅5メートルの壁面を四方に持つ小さな礼拝堂で,保も良く画家の仕事の様子を考えるには,まずとりあげるのに最適の例である。ひとつの形が如何に使われているか。まず「冥府くだり」のキリストについて。ここではキリストは,上半身を左にむけ,重心を左足に置き,左手でエバの手を握りつつも,後ろをふりかえり右手でアダムの手を腰のあたりで握りひっぱりあげようとしているのであるが,その形はそのまま「変容」で,モーゼとエリアを左右に従がえて,腰をひねって中央に立つキリストに流用されている。また同じく「冥府くだり」のアダムについても,左ひざを立て,左手はキリストにつかまれて伸ばしきっており,右手はやはり前方のキリストに向けられているその形は,「変容」での,左手はみえなくなっているが,キリストを前にし,驚きつつも抑ぎみるペテロとなっている。また「降誕」で,中央の洞窟の中の幼児イエスとマリアの手前で左むきに腰をおろし,物思いに沈むヨセフの形は,やはり「変容」の弟子のひとりに流用され,体をまるめて変容の輝きから顔をそらすヨハネとなっている。しかし,以上の場合,「変容」の弟子たちなどという図像の重要な要素については,既に記したとおりの大まかではあるが図像の伝統があり,形もその伝統から継承されてきたもので,「冥府くだり」や「キリスト降誕」の部分との形の一致は偶然であるとの反論があるかもしれない。しかし実際の画家の作業を考えるならば,画家は自ら学び獲得していた形を,様々なところで使用しているのであり,そのことの方を注目すべきではないだろうか。しかし反論を避けるためにもうひとつ,今度は図像伝統の枠外にあり,画家の自由裁量の範囲がもっと大きかったと考えられる細部,つまり脇役の人物の形について例をあげよう。それは同じストゥデニツァの聖ヨアキム・アンナ教会の「聖母の誕生」でマリアの-174-
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