母アンナの横たわるベッドの手前で,生まれたばかりのマリアに産湯を使わせている侍女についてである。彼女は正面むきにあぐらをかいて座っているのだが,この形は珍しく,他に「聖母の誕生」の侍女として使われた例はない。しかし同時代の別の作品に,別の姿で表われる。それはペーチの聖デメトリオス教会(1320年頃)の「キリスト埋葬」のなかで,死んだキリストの頭を抱くマリアのむかって左で,両手を挙げて嘆く女である。正面むきにあぐらをかいて座っており,多少デッサンが曖昧になっているものの同じ形である。この両者,侍女も嘆く女も共に図像の重要な構成要素ではなく脇役であり,図像伝統による拘束はなかった。それゆえ,伝承された形をストゥデニツァの画家は侍女に,ペーチの画家は嘆く女に使用したと考えてよい。この例は,ー地域の画家集団に伝承されていた形が,様々に使用されたことを示している。画家が修業時代に学ぶ形とは,画家集団に伝承されていた形である。そしてその伝承は古代にさかのぼるものである。ビザンチン美術の形の典拠を古代に探ることは,ビザンチン美術における度々の古代回帰の傾向についての研究のなかで成果をあげているが,ビザンチン美術は古代以来伝承された形を受け継ぎ,観念的に展開したのであって,画家が受け継ぎ得た形のボキャプラリーを知れば,それぞれの作品の背後に画家の個性を読みとることが可能になると思われる。このような見通しを持ちつつ,これからも具体的な例をさらに蓄積してゆきたいと思っている。(21) 1950年代の美術の国際的な表現主義傾向について研究代表者:国立国際美術館研究員建畠京都工芸維繊大学工芸学部助教授研究目的:脈を中心に美術史的な考察を行なうとともに時代状況を踏まえた広範な視野によって各運動を比較検討したい。そして1950年代の表現主義的運動の史的背景を明らかにし,戦後美術の一つの原点としてその後の絵画の展開に果した役割をも考察し,従来批評や回顧の文脈にまかされていた問題に美術史的な照明を与えてみたい。1910年代のドイツ表現主義や北欧表現主義,ダダイズム,戦前の抽象絵画等との経島久雄-175-
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