(1) 物質主義の絵画とアンフォルメルージャン・デュビュッフェを中心にUne Etheique Autre)で,アンフォルメルという名称がもっとも早く登場しているの第1回展,52年11月の第2回展,12月の「別の芸術」(UnArt Autre)展等によって,研究報告:昭和60年度国立国際美術館紀要2号よりの抜刷この小論は,第二次大戦直後のヨーロッパ絵画の物質主義ともいうべき動向を,アンフォルメルとの関係において考察するものである。周知のようにアンフォルメルとは,ミシェル・タピエが唱導した前衛美術運動であるが,必ずしも輸郭のはっきりした結社的な運動体をなしていたわけではなく,むしろ同時代の現象に対するタピエ独自の解釈に支えられていたという面が強いために,その成立の時期や作家名を特定することは困難である。しかし,タピエの展覧会活動に即して考えるならば,それが運動としてはじめて主体的に組織されたのは,1951年3月にパリのニナ・ドッセ画廊で開かれた「激情の対決」(Vehemencesconfrontees) 展であり,またタピエの著作のアンソロジー「別の美術への序説」(1)(Prolegomさnesa も,この展覧会に寄せたテキスト叫こおいてである。さらにステュディオ・ファケッテイでの同年11月の「アンフォルメルの意味するもの」(LesSignifiants de L'Informel) 運動は一挙に時代を席捲する勢いをもって確立されることになる。したがって本稿の対象となる時期,すなわちジャン・フォートリエ,ヴォルス,ジャン・デュビュッフェらの個展がパリであいういで開かれた1944■46年を,即,アンフォルメルの成立期と見なすことには,いささか無理があるといわなければならない。この時期にはタピエは,彼らの仕事に啓発されて自らの批評の論拠を,“別の美学"を,構築しつつあったのであり,また逆の立場から言えば,彼らはアンフォルメルの先駆者として位置づけられはしても,後のタピエの“ドグマ”のみよっては規定されえない存在だということにもなろう。とはいえ,われわれは運動家としてのタピエから,不用意にアンフォルメルを切り離すべきではない。広義のアンフォルメルなどといったものは存在しない。そのことを認めた上で,タピエの晦渋な理論の展開に必ずしもこだわることなく,現象の実態を改めて客観点にとらえること。いま必要なのはそうした,文脈の読み直しともいう建畠哲-176 (1)
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