. ルメルの重要な側面である反デカルト主義は,何よりもタピエの神秘主義的な言辞に負っているのは事実である。また絵画としてのカリグラフィーヘの注目やダダの再評価の視点なども,今日的に見てきわめて鋭いものがある。卓越した運動家,才能の発見者としての位置も併せて,その軌跡は,今一度,正当に評価し直されるべきものとは思う。さて絵画とは描くという「行為」の結果として成立するものであり,またそれ自体,一つの「物質」でもあるという絵画観,いわゆる50年代の表現主義的な諸動向から,カラー・フィールド・ペインティング,60年代のシステミック・ペインティング,、ニマリズムなど,戦後のモダニズムの美術の文脈の中で培われてきたものである。その一つの前提となったのは,ジャクスン・ポロックらのオールオーヴァーの絵画と,それにもとづくクレメント・グリンバーグらのフォーマリズム批評の「平面性」の概念である。しかし,こうしたニューヨーク・スクールの流れに対してデュビュッフェらの物質主義には,平面性の概念を存在せず,むしろマチェール主義(matiさrisme)とも見なすべきものであったことを忘れてはならない。また,あえて対立的にとらえるならば,同じ表現主義的傾向を示してはいても,ヨーロッパのアンフォルメルは本的には反モダニズムの運動であったのに対し,否定すべき伝統を自らのうちに持たないアメリカでは,抵抗なくそれをモダニズムの延長上に展開しえたともいいうるのである。フォートリエ,デュビュッフェ,ヴォルスらの,必ずしも画面からイリュージョンを排除するものではない絵画の本質を,フォーマリスティックな絵画観(絵画=平面)から遡及的に規定することは,転倒した文脈主義として,警戒されなければならない態度であろう。以下,デュビュッフェの発言を中心に,絵画における物質主義の意味を,具体的に検討して行くことにする。(なお,本稿ではmaterialismeを物質主義としたが,後述のアスガー・ヨルンの場合にはmaterialisteを明らかに唯物論者の意味で用いているようである。また本稿ではマチェール(matiere)を一般的な絵画用語として,画面の肌,質感の意味で用いていることをお断りしておく。)「黒とは一つの抽象観念にすぎない。黒などというものは存在しない。存在するのはさまざまな黒いマチェールなのだ。」(7)当時のデュビュッフェの絵画観をもっとも端的に-178-(2)
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