ほとんど関連するような思考は見えない。このアンフォルミュレについても,これ以上の説明はなされていない。しかしながらデンマークからコブラに加わったヨルンは,1949年3月に創刊された『コブラ』誌第1号でプルトンの「シュルレアリスム宣言」に書かれているオートマチスムの記述「思考を表わすための純粋に心的な自動表現法」にふれて,「表現というものは純粋に心的な仕方ではできない。表現行為はまず身体的なものである」とてある。(30)オートマチスムを,このような意識面ではな〈,もっと原初的な,表現行為そのものの身体運動において見るということはたしかにシュルレアリスムの見方ではなく,コブラ・グループに共通する「原初志向」の表われであり,のちのアンフォメルにつながっていくものである。もともとオートマチスムという手法は,当初は,っまり「シュルレアリスム宣言」においては,信頼できなくなった現実にはもはやない自由を求めて考え出された「超現実」の世界のためのものであって,そこには必ずしも原初志向はなかったのである。そこの作家と交った。さらに戦後は革命的シュルレアリストと親交を結んだか,祖国ではヘルヘステンやヘスト・グループに属し,考古学,人類学,民芸に興味をし,プリミティヴィスムヘの傾向を見せている。ヨルンのオートマチスム観は恐らくこの系列で形成されたと思われる。ブルトンとスーボーによって考え出されたオートマチスム(自動記述)は最初の詩作の手法であり,重要なのは文字によって表現される内容であった。しかもその内容は文字そのものの造形的表現とはまったく関係なく,彼らにいわせれば思考そのものが表現されるというのである。早い話,それはタイプライターでうとうが,手で書こうが,どちらでもよいわけだ。しかしながらあくまで手で描く絵画の場合には事情は異ってくる。思考が手を通じて表現方法と密接に結びつくということもありうるからである。クレーがシュルレアリストの一人に数えられるひとつの理由は,彼が線独自の表現力を重視した線描家だったことであろう。ヨルンが気付いたのは恐らくこのあたりのことであり,ヴォルスを経てアンフォルメルヘいたる道はあとワンステップというところである。このようなヨルンの考えかパリにおけるアンフォルメル形成に影開したかどうかは1914年ユトラント半島(デンマーク)に生まれたヨルン(本名はヨルゲンセン)は1930年代には抽象的画家として出発したが,1930年代後半にはパリにしばしば出て,_ 193-
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