註(2) 座談会「ミシェル・タピエ氏をかこんで」,『みずゑ』第627号1957年10月,24頁(3) Georges Mathieu, De La revolte a la renaissance, Audela du Tachisme, Paris 1963 (1972) P.33 (4) 例えばMarcelJean, Histoire de la peinture surrealiste, Paris 1959 (5)但しFranceseVicens, Prolegomさnesa une esthetique autre de Michel Tapie, Barcelone 1960. p. 18 1909年生れとなっている。(6) Willemijn Stokvis, Cobra, Geschiedenis, voorspel en beteknis van een beweg-ing in de kunst van na de tweede wereldoorlog, Amsterdam 1980, p. 40 cf. 3 (7) Michel Thevoz, L'Art brut, Geneve 1975 (1980). p.53 (8) Vicens, op. cit., p.38 (9) Vicens, op. cit., p.37 (10) Vicens, op. cit., p.18 チスムという技法はシュルレアリスムの側にあるときは意識下という新しい世界の,いいかえると絵画的イメージの記述と発見に重点がおかれているのに対して,コプラやアンフォルメルの側においてはまずすべての美的構成,美的秩序等々とよべるものを否定し,「描く」という原初的な行為そのものにかかわることに重点がおかれないということであろう。恐ら〈このことをさらに比較検討していくならば,このような行為そのものの結果としての作品のレベルにおけるさまざまな問題,マチェールやイメージ,モチーフやテーマ等々といった問題をとりあげることができるだろう。さしあたっての結論は,第二次大戦後のヨーロッパとアメリカの美術はこのあたりを中心に展開していったということである。本研究は,昭和60年度鹿島美術財団研究助成金の援助によるもので,ここに記して感謝いたします。(1) 富永惣ー「今日の空間」,『みずゑ』第617号1956年12月,4 この本ではTapieの生年は1864年と誤記されている。平凡社の新しい百科辞典では(11) Paris-Paris, 1973-1957, catalogue de CGP, Paris 1981, p.120 (12) 前掲座談会,『みずゑ』第627号,26頁-195-
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