つ。ことになり段階的に大がかりな足場が組まれた。この機会を利用して日本人研究者も研究・調査を行うことになり,今回は私以外に若桑みどり氏,若山映子氏が参加し,それぞれ報告されるので,この小文は私の調査に限って述べている。さてこれまでの4年間に礼拝堂壁画の「法王像」群とミケランジェロのリュネット「キリストの祖先たち」の修復が完了したが,この部分について若干考察してみよう。「法王像」についてはすでに画家たちのアトリビューションの問題が議論されているが,ボッティチェルリ,ギルランダイオ,ロッセルリなどの手が区別される他に,それぞれの工房の手がありこれらを区別することが必要となる。今回もこの区別を行ないかなりの程度まで判断できた。次にリュネットの問題であるが,ミケランジェロの制作の中で,これまで一番後に描かれたものと考えられていたが,今回の修復で中心部分と同じ時期に描かれたのではないか,という考え方が有力となった。というのもこのリュネットの下に穴が発見され,そこに横木を入れ対壁に渡したことがわかるからである。するとこの部分より上の部分をすべて同一の足場の上で描いた可能性が出て来たからである。しかし上とはだいぶ表現法が異なるのでさらに検討が必要となろう。またこのリュネットは中央に銘版がありそこにマタイ伝による「キリストの祖先たち」の名が書かれている。ところが2人の左右両側の人物像に対し,しばしば1つしか名が記されていない。もともと祖先たちの名と人物像の風采や年令と関連していないから,今度の修復により鮮やかな色彩と明確に動作が現出し,これに基づき再検討することができる。これは全体の人物表現の基本思想との関連により明らかとなろ又この天井画の初期(1508■9年)においては多数の助手たちがいたと推定される。ブジアルディーニ,グラナッチをはじめフィレンツェから連れて来た画家たちであるが,現在行われている修復部分にそれらの手があるかどうか検討している。とくに「ノアの大洪水」の場面はそれらの相違が顕著で,ミケランジェロが助手たちを追い帰したという逸話は,この場面での拙さに腹を立てた結果と考えられるからである。次に技術的問題としてフレスコ画の技法,ことにスポルヴェロ(カルトーネ使用)とインナジオーネ(直接漆喰に印刻する)の区別を明らかにし,どのようなときにそれぞれの技術を使用し,それがミケランジェロの目ざした表現効果をどのように結びついているか考察する。又色彩が非常に鮮かになったが,これにより色彩のシンボリズムがより明らかにな-205 _
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