鹿島美術研究 年報第3号
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ると考えられる。この色彩はチェンニーニの「絵画論」やヴァザーリの色彩論での色の種類に限られているにせよ,人物像にそれぞれふさわしい色彩を使用したと考えられ,その点からも人物の意味が解明される一助となろう。私はすでに中央画面の裸体画(Ignudi)について4大元素,4つの時,4気質という当時の支配的思想との関連から象徴・擬人像としてとらえたが(I)「ミケランジェロ,システィナ礼拝堂4裸体像の解明」(『フォルモロジー研究』所収)1976年。この擬人像化の看点からさらに人物像分析を行なったが(1)(すべて4人1組でとらえられるからである),さらに色彩や形態の点から再考したい。(I)『ミケランジェロ』「世界の大画家」中央公論社,1984.これから3年続く修復過程において以上の問題を検討していくが,これとは別個に,この礼拝堂壁画全体の構想の問題がある。まずミケランジェロの「天地創造」から「ノアの泥酔」にいえる『創世紀』場面,そして預言者や巫女,さらに「キリストの祖先たち」まで描かれた天井・壁画から,下のボッティチェルリらの「モーゼ伝」「キリスト伝」「教皇像」そして正面壁画のミケランジェロの「最後の審判」を含んだ全体について,一つのプログラムが用意されていたのだろうか。少な〈ともミケランジェロはそれまで描かれた部分を念頭に入れて礼拝堂全体の統一的なプログラムを構想していたに違いない。これまでの研究では個々の図像について論じられても,統一的な骨組みについては,互に伝統的な教会図像を画家の創意で変化させたものとしか考えられていなかった。ミケランジェロの図像でさえも様々な見解があり,プラトンによるもの,「聖書」に基づくもの,サヴォナローラの流れを汲む思想(SantePagnini),フランチェスコ派のマルゴ・ヴィジェリオ,最近のアウグスティヌス派の思想によるもの(I)まで,(1>£.G. Dotson, The Art Bulletin, 1979.当時の法王周辺の有力者たちの構想によるという前提で仮説が提出されている。拙論の四大要素擬人像説は基本的には古代のプラトンの四元素を述べた『ティマイオス』の他に果たしてどんな文書があるかわからなかったが,今度のローマでの資料調査で,ひとつは法王づきの枢機郷オジディオ・ダ・ヴィテルボの1507年の講話と,ヴォラギネの名高い『黄金伝説』序文が大変有力であることが判明した。前者は1507年という同時代性とユリウムII世のためという近さから,後者はすべての画家が読んでいる重要性から,こうした図像の根拠となると考えられたのである。共に「歴史」を語ったものであり,内在的に通ずるところが多々存在する。とくに後者はミケラン-206-

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