鹿島美術研究 年報第3号
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2.修復された成果と今後の研究の展開についてとが明白であり,後世において,さして重要視されることがなかったため,修復の手もさして加えられることなく,ほぼ原状のまま今日にいたっていたのに反し,天井画はこの礼拝堂中もっとも重要な作品と考えられたため,しばしば後世の修復の手が加えられており,しかもその中には,強烈な印象を与えるため,濃いセピアで輪郭を描き起こし,明暗を強調するという極端な改変が加えられた部分もあるためです。また第二の理由として,天井フレスコを制作する時の巨匠は,まだこの技法について確実性がなく,多くの助手を用いていたばかりでなく,作者自身かしばしば描き直しを行ったからであります。この点は,技法とスタイルにおいて,完全な円熟を遂げていたルネッタ部分との非常な相違であり天井画の修復を極めて困難な,問題の多いものにしていると考えられます。修復作業は,用いられた顔料の化学的分析と,ジョルナータ(制作量)の正確な割り出しによって科学的な方法で進められていますが,しかし,私の見たところでは,高度の経験をもった四人の修復士の鑑識眼が最終的な決め手となるように思われます。彼らの語ったところでは,アウトラインの線の力,ハッチングの性質,タッチなどによって,巨匠の筆跡は明らかに感じとられるものであって,事実,重要でないディテール(背景をなす建築的部分,カリアティドのプッティ)には,私の見たところでも,すでに何人かの,明らかに異った助手の手が認められました。以上のようなきわめてデリケートで,複雑な問題を多々含んだこの作業は,今後もかつてない困難さをもって続けられることが予想されます。ヴァティカン美術館が毎週土曜日の2時間を,学者並びに修復家に公開することによって,一般の批判と助言を求め,この仕事の公共性を明らかにしていることは,この作業の重大さをよく認識してのことと思われます。我々もこの機会を利用し,この作品の成立に関する,旧来明らかにされることのなかった秘密を目撃したいと考える次第です。この調査の最大の収穫は,ミケランジェロが制作したと正に同じ至近距離において,その筆力と色彩の力とを直接に観察することができたということでありましょう。今後二度とこのように大規模な足場が架けられることはないと考えられるからです。しかも,修復の結果,汚れていた色彩は鮮明に再生され,まさに圧倒的な迫力をもってこの巨匠の箕価を見せてくれます。この中で今回の修復によってはじめて明らか-208-

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