鹿島美術研究 年報第3号
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3.壁画の劣化と調査地の現状及び処置過酷な自然現象を和らげる意味での壁を支持体とする壁画にとって,直接受ける環境変化の幅は広く,劣化の要因は少なくない。風雨,光,温湿度,温度,大気汚染,油煙,埃,振動,鳥等の排泄物,徽,微生物,植物,毛細管現象によって吸いあげられた水溶性塩類の析出,再結晶,天災などの他に,材料技法上の問題等絵画に内在するものからの劣化。人為的なものとしては,ひっかき,いたずら書きから,政治,宗教的な破壊に至るまである。教会のように,それが何世紀も機能し続けた場にある絵画には,傷んだことを理由にその時代の嗜好に合った描き直しや,塗り込めて全く新しく描かれた例も数多い。さらには,保存修復のためにとられた処置が逆に作用した例もある。ICCROMの主任保存修復官ホ゜ール・シュワルツバウム氏の推薦により各地で調査修復を行ったが。そこで実見できたものから特殊な例をあげてみる。サンタマリアアンティカ教会での調査では,過去に欠損部への充填補強に用いたセメントが問題とされた。視覚的に黒っぼくなりオリジナル図像より目立つ,熱伝導率,密度などの違いから結露しやすい,周辺に水溶性の塩類の析出,再結晶が起きやすい等である。ナポリの現場でも,壁体の層間剥離を固定するために随所に打たれた銅釘が前記の理由で水の通り道となり,その周辺に損傷を引き起こした。(写真②)保存科学を拠り所にした修復が行われる以前の処置で損傷を受けた部分を画家が描き直したと思われる部分も見い出した。ローマのトラヤヌスの円柱浮き彫りの状態は屋外にある文化保存の難しさを目の当たりにさせられる。何らかの強化処置をされたと思われる大理石表面と,強化剤の達しなかった内部との間に損傷が起きている。技法材料上の問題が劣化,変質の要因となった。シュトレハウ城での調査修復について詳しく述べる。1579年に描かれたこの壁画は一部甚だしい変色(赤褐色)のために図像の判別がつかない状態であった。調査により,変色は白色及び,それを混ぜた部分にのみ見られること,分析により白色顔料は鉛白を含むものであることが判明した。描画はテンペラ技法によりなされたもので,壁を描くことの経験の少なかった画工が平滑な表面を得るために,鉛白を含む下塗りを施したものと推測した。真性フレスコにおいては強アルカリの漆喰に耐え得る顔料しか使用できず,技法的にも制約の多いものである。画家は描画上そのような制約のないテンペラ技法を壁においても踏襲したものと思われる。変色は階上からの漏水・漆喰層の極めて薄いこと等に起因し-214-

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