鹿島美術研究 年報第3号
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て発生したものと分かった。既にフレスコ画における鉛白の酸化変色部への化学的処置で実績を上げているフィレンツェ国立修復研究所のサビーノ,ジョバンノーニ氏の指導により還元処置を行い(写真③)変色部の元の白色に戻し,ほぼ描画時に近い図像を見い出すことができた。側壁内部より発見した古い絵画層や,おそらくオランダ,あるいはその影響を受けた画家の手になると思われる壁画は,美術史的にも貴重なもので,その方面でも調査中である。サンタマリアノベッラ教会,ギルランダイヨの壁画修復は,フィレンツェ国立修復研究所が,文化財監督官のもと,美術史家,科学者,修復技術者が一体となり,併設の教育機関から学生が実習の形で作業に加わるという理想的な形で進んでいる。主任修復技術官は,アルノ川洪水の1966年をはさんだ時期に同壁画の大がかりな修復にも当たったグイド,ホッティチェリ氏で,今回直接の指導を受けることができた。洪水により冠水,破壊された文化財はもちろん,洪水後通常の経年変化では想像もつかないスピードで崩壊していった壁画を目の当たりにしたフィレンツェの修復家や科学者はその後,数々の修復技法を開発した。経年変化の少ない除去可能な合成樹脂の開発が保存修復技術を進歩させ,実績を上げていることはいうまでもないが,フィレンツェでの真性フレスコに対する独自の強化法は,その方法論と共に着目する必要があると思う。暗い教会内でも,柔らかい光を発するかに見える真性フレスコ独特の美しさと堅牢性は,その描画に用いられた顔料が,大理石と同じ化学組成を持つ炭酸カルシウムの結晶に包み込まれ漆喰と同化してしまうことによる。この技法による絵画は乾燥硬化後,表面を水で洗うことすらできる。しかし大気中の亜硫酸ガスが漆喰をわずかに水溶性の硫酸カルシウムに変質させつつある。これに背後や地中からの吸水が加わり表面に硫酸カルシウムや塩類の結晶析出をうながす。このような根底から甚大な被害を受けた壁画に対して,フィレンツェでは炭酸アンモニウムのパックを用いて硫酸カルシウムの硫酸基を炭酸基に置換する化学処置を採る。さらに第二反応として用いられた水酸化バリウムのパックは第一反応が生成された硫酸カンモニウムを極度に不活性な硫酸バリウムに,また炭酸ガスとの化合で炭酸バリウムを形成するがその過程が漆喰層の強化にもなるというものである。この方法で強化したギルランダイヨの壁画は,保護ニス等を必要としないフレスコ本来の強さと質感を取りもどしたのではないだろうか。パオロ・モーラ夫妻の開発したAB-57を使ったクリーニングは,システィナ礼拝堂-215-

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