外公館の什器が主なようであった。かつてヨーロッパヘ影椰を与えた伝統への誇り高き固執,自分に課せられたこと以外関与せずとする労働観,いずこも同じ国立機関の柔軟性なき悠長さ,職員自ら粉挽き風車にたとえたこの工場には宮廷の庇護擦れ,いま社会主義政権となっても援助なしには無理な体質があった。日本が人間国宝認証制度で,フランスがセープルによって,伝承のものを擁立しているといえそうだが,その権威の内容,若い世代の評価の変化など何かと似かよっていた。実作にたずさわっていて痛感するのだが,伝統を如何に畏敬しても,それを固守しての創作は至難だ。自ら視野を狭め,形骸化がしのびよる。かのセープルにも,伝統を守り続けることにつきまとう宿命のような因果関係,即ち高品質,高精度の制作技術への到達と引換えのように,生活感覚との乖離,造形としての活力の喪失,瑣末への執着,そしてそれらを自ら認識し,変革しえない状況があった。そうした状況に危機感をもつに至った文化省は,これはと思う作家を世界から一今までカリフォルニア4名,日本2名一を投込み,あわせて自国からも,建築家,造形家,デザイナーなど異分野の人達を巻込んで,セーブルをゆさぶり,仏陶芸界への波及をも目論んだ。それあって,タテマエ協力的,ホンネ間入者視のフランス式使いわけに出合いもした。短期間に制作し遂げようとすれば,粉挽き風車の気質や,伝承もの以外は狭少なキャパシティとの間に軋礫が生ずるのであった。それらを除けば,アトリエの提供,生活費支給,気の赴くままの制作OK,急いで成果を求めない制作環境はリフレッシュする機会でさえありえた。その上毎回の食事が旨く。野菜,肉,乳製品といった基本材料も例外なく素晴しく,風土からの産物を大切にしているのが感じられた。それにくらべれば,日本の野菜など,匂いもしない無味で見かけだおしの合成食品も同然だ。日本列島がいかに,と外から見れば,十人十余色もの意見陳述,「ヴィヴルサヴィ(自分の人生をいきる)」のフランスとは対照的に,列島一致して,慌しくせまる世の変化に器用に対処していた。日々の食品を合成品に切換えてまで……。その甲斐あってか,いまや世界一,活気に満ち,刺激にとんだ,実験工場みたいな魅力がある,とフランス人も面白がるのだが,同島人としては考えこまされるのであった。ミッテラン社会主義政権は国家貧窮にもかかわらず,いやそれなるが故とも思えるのだが,文化関係予算を他に突出させて,文化を,社会の活性化と,社会主義のイメージ向上の,牽引役にと狙っているようであった。その実験が実を結ぶのか危ぶまれる面もあ-226-
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