に,いささか驚かされました。しかし,やがて私には,次のようなことが分ってきました。これは,ゴッホが今でもなお,人々にアピールする力を持ち続けている証拠なのだと。しかも,その作品によってだけではなく,そのパーソナリティーによっても,人々にアピールし続けている証拠だということです。皆様や,私自身に対しても次のような問いを発してみたいと思います。もちろん,それが仮想の問いであることを私は嬉しく思っているのですが,それは_「もし仮に,我々がゴッホの生涯について何も知らないとしたら,また仮に彼の作品しか知られていないとしたら彼の名声は,今日,これほど高いものとなっていたでしょうか?」皆さん方がゴッホについて持っておられる概念は,まず何といっても生涯にかかわるものであるでしょう。特定するならば,皆さんが持っているゴッホの生涯についての理解は,「アンダードッグ」,負け犬,社会の敗残者とかが持つすべての特徴を示す人物の生涯ということでしょう。私が言っているのはこういう人物のことです。生きている間には,彼にチャンスを与える人はほとんどいなかったが,しかし,世界的な名声をかちえる仕事をした人物ということです。逆境にもかかわらず自ら設定した目的に向かって進みそれに到達する,といったタイプの人物に対して,日本の人々は特別な共感を覚える,ということを私は聞いたことがあります。先程の問いはあくまでも仮定のものですが,我々は,他の画家にくらべてゴッホの生涯のその日その日の出来事について,多くのことを知っていますし,彼を動かしていたさまざまな動機についても知っています。ゴッホは,今から132年前1853年に生まれました。これは全く偶然ですが,この年はアメリカ人が初めて日本に姿を現わした年です。ゴッホが歿したのは,1890年,37歳でした。ゴッホの生年が1853年歿年が1890年ということは,あと5年で歿後100年を迎え記念することになり,更に13年後の2003年になると,生後150年記念になります。2003年のことについては何も申し上げられませんが,1990年にはオランダはゴッホを愛する人々のメッカになると言うことができます。皆さんが,これから何年かのうちにヨーロッパ旅行をお考えでしたら,1990年にするようおすすめしたいと思います。この年には,オランダで極めて興味深いゴッホの展覧会がいくつか開かれることになっています。ヨーロッパヘ旅行された方々は,おそらくゴッホの作品に関してオランダの二つの美術館が豊かなコレクションを持っているということをご存知だと思います。オッテルローのクレラー・ミュラー美術館は,1938年以来,多くの人々をゴッホの作品のとりことする場所_ 12
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