鹿島美術研究 年報第3号
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次にゴッホが,彼の友人であるパリの画材屋通称『タンギーおやじ』を描いた2点の作品です。タンギーの背後の壁を飾っている絵が,実際何であったかという問題はまだ完全に解決されていません。つまり,それらの絵はタンギーの後ろの壁に実際飾られていた日本の版画そのものを描いているのか,あるいは,それらは日本の版画そのものではなく,ゴッホかあるいは他の誰かによる日本の版画のコピーなのかということです。そのようなコピーは,3点しか現存していませんが,他にもあって,しかし保存しておく必要はないと考えられてなくなってしまった,ということも充分推測できます。片方の絵の左上には,現在でも残っているゴッホの描いた静物画の右下の部分を認めることができます。実際のものであるにせよ,あるいは想像上のものであるにせよ,『タンギーおやじ』の背後の壁に組み合わせられた版画は,そのほとんどが一全てではありませんが一具体的に何であるか判明しています。写真③を参照していただきたいと思います。まだそうする機会を得たことはありませんが,いつか,両作品に見られるような壁を実際に再構成してみたいものだと考えています。もちろん,タンギおやじとしてその前に座ってくれる人もさがしたいと思っています。パりにいたときゴッホは日本のものを見るだけではなく,その意味について,仲間の画家たちと語り合う機会を持ちました。たとえば,トゥルーズ・ロートレックとは,間違いなく多くの時を共にすごしたと思われるのですが,彼らは,浮世絵版画の中に見られる愛すべき情景に,ュートピア的な夢を抱いたと思います。彼らが1880年代の実際の日本について知る機会のなかったことは,ある意味では良かったと言うべきでしょう。当時の日本は,彼らが思い描いていたような夢見るような楽しい世界とは程遠いものだったのです。ゴッホやヨーロッパの画家たちは,日本の版画の画面構成法から多くを学び,模倣したということがしばしば言われてきました。つぎの二点の作品の対比から結論づけることができるように思われるかもしれません。一方はアルルの風景を描いたゴッホの傑作のひとつで,現在,ミュンヘンのノイエ・ピナコテークにある作品『アルルの眺め』他方は北斎の版画です。どちらの場合も,前景に描かれた樹は,奥行と空間を強調する引き立て役として用いられています。他方,このような比較はゴッホの作品と,ゴッホが知っていたヨロッパの他の画家たちの作品との間にも成り立ち得る,ということにも注意しなけれぱなりません。おそらく,次のように言うべきなのでしょう。つまり,ゴッホはそのような画面構成に対する興味を自分自身持っていて,それゆえに同じようなことをやった日本の画家たちにごく自然に共感を覚えたということです。-15 -

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