パリでのことで,1875年,ミレーが歿した直後のことでした。事実に即して言いますと,それは,ミレーの遺したものが,オークションで売られる前に一般に展示されたというわけです。ゴッホはある手紙の中で,この展覧会から強い印象を受けたと書いています。さらに,「今,立っている場所は神聖な場所だから靴を脱がねばならない」と感じたほどだったのです。靴を脱ぐということは,日本ではもちろん当り前のことですが,ヨーロッパでは神聖な場所に入ることを意味しています。1875年の展覧会を訪れた後に,ゴッホは,ミレーの素描をもとにしたラヴィエイユ作の<銅版画>を買います。そのミレーの素描というのは,4枚の田園の情景で,一日の進行を象徴したものです。ミレーの他の素描をゴッホが模写したものが,今回の展覧会にも出品されています。レーに関する本をゴッホに貸しました。この本はゴッホにとって大変興味深かったもので,例えば,夜中に起き上って,ランプをつけ,またその本を読み続ける,というようなこともあったのです。ゴッホはこの本に没頭したに違いありません。この本は,1875年以来彼が非常に尊敬するミレーについて,その生活上のあるいは芸術上の浮き沈みを明らかに教えてくれました。この本を読むことによってゴッホは,彼が愛する画家の人物について,そしてその作品の背後にあって彼をつき動かした力について知ったのでした。ゴッホは自分自身を,この農民画家ミレーと同一視したに違いありません。あるいは,画家としての自己の誠実さをまもり続けたミレーのやり方を,自らのそれと同一視したに違いありません。この本は,画家ミレーと文筆家サンシエとの間の交流を示すものとしても,ゴッホにとって,重要な意味を持っていました。ゴッホとミレーの生活環境は全く異っていました。ミレーは,穏やかな家庭生活を楽しんでいましたが,この本を読んだ頃のゴッホは,家族からの非常な反対を受けながら,シーンやその家族と生活していたのです。1887年,ゴッホが再びパリヘ出た時,幸運なことに,またミレー展が開かれました。そこで見ることのできた作品のひとつに,『歩きはじめ』という素描がありますが,今回のゴッホ展には,そのミレーの素描の複製をもとに,ゴッホがサン・レミで描いた油彩画が出品されています。ゴッホが弟テオに送った手紙を見ると,ゴッホが色彩の配置に非常に気を使っていたということが分ります。ゴッホは,自分が他の画家の作品を副窃しているのではなく自らの感覚に従って,他の画家の作品を自らの絵画言語におきかえようとしているのだということを,何とか分ってもらおうと気をつかっていたことが分ります。もちろん,ゴッホが他1882年,ゴッホの友人であった画家テオフィール・ド・ボックは,サンシェが書いたミ-17 -
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