鹿島美術研究 年報第3号
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のすべての画家の作品と異なる,彼自身の絵画言語を持っていたということには,皆さん同意していただけると思います。多くの影響を注意深く受け入れつつ,彼は彼自身のものを創り出すことに成功したのです。ゴッホがミレーの作品をもとに何度も繰り返しコピーした主題のひとつに『種播く人』があります。今回の展覧会には,『種播く人』のひとつとして,クレラー・ミュラー美術館からの作品が含まれています。それは,単にふくまれているだけではありません。この展覧会の主催者の方々は,この作品をあらゆる出版物,印刷物の中心的イメージとして選んだのです。言うまでもないことですが東京都内どこへ行こうと,この『種播く人』が姿を見せて,ゴッホが今ここにあるということを思い出させるのです。この作品の一部分は,カタログの表紙にも用いられています。友人のベルナールあてのある手紙に,ゴッホはこう書いています。「僕は,田舎が嫌いではないということを隠そうとは思わない。僕は田舎で育ったのだからね。今でも前と同じように,昔の思い出の数々永遠へのあこがれといったものが,魔法のように僕を魅了するが,種播く人とか麦束とかはその象徴なのだ」。この言葉との関連で,ゴッホが田園地帯に生まれたということ,ベルギー国境に遠からぬ南オランダの小さな村で生まれたということを,思い出しておくのも意味あることでしょう。彼は,農民の息子としてではなく,牧師の息子として生まれたのですが,周囲の環境はまさしく田園的なもので,自然への愛が,精神的な思考と結びついた環境の中で育ったのです。ゴッホは,宗教的な事柄に関して,彼の父のやり方に完全に賛同していたというわけではありませんが,精神的な思考を重要視する傾向は確かにありましたし,絵を描く時もそうでした。ゴッホは,神学的な考え方を,自らの洞察に従って応用したのです。この『種播く人』の像は,アルル時代に描かれたものですが,若い頃に描いたオランダの風景画との切り離しがたいきずなを示していますし,このテーマには,ほとんど宗教的といっても良いような強烈な思い入れが込められています。今回の展覧会の計画の中心人物ともいえるロナルド・ピックヴァンス氏は,カタログに寄せた論文の中で,『種播く人』のイメージが生まれてきた全過程を追って述べています。展覧会カタログの第5セクション,「総合」に書かれています。展覧会場は,全体が,さまざまなセクションから構成されています。会場の突き当りのところに自画像があります。最初の大きな展示室では,ゴッホの最良の作品が一目で見渡せます。これらの作品は,展覧会場を去る時もう一度二階の最後の展示室から,最初の部-18 -

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