鹿島美術研究 年報第3号
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VIVREの文字があります。すなわち,この聖書は,『イザヤ書』第53章のある頁が開かれとして,油絵としての靴というのはちょっと思い浮かばない例です。それから同様に彼は椅子を描いております。1888年12月末から翌年1月にかけて,例の耳切り事件の悲劇の前後にまたがって,ゴッホは2つの椅子を主役として一対の作品を描きました。それは有名なくゴッホの椅子>(写真2)とくゴーギャンの椅子>(写真3)です。室内を描けば当然椅子が出て来るので,室内風景の中に椅子が出て来るということはもちろんありますが,椅子だけをここでは完全に1つ,椅子がつまり主人公になっているわけです。こういう例はちょっとないのです。この場合の椅子を描いたのは,椅子が造型的にいろいろと面白いという以上に重要な意味があります。ゴッホがゴーギャンと一緒に居たのはご存知でしょうが,ゴーギャンの椅子の上に黄色い表紙の二冊の本が載っております。こういうふうに椅子と本を一これは図的に組み合わせているわけですが一描くというのは,単にそれが造型的なモチーフとして,どうこうという以上に,この椅子を描きたい,あるいは描かずにはいられなかった彼の欲求があったわけです。椅子なり,靴なりについてもいろいろな意味があるのですが文との関係で見ていきたいと思います。本だけを描いた絵というのも,大変にゴッホの作品の中では目立ちます。ほとんどが黄色い表紙で,それが当時のフランスの小説の本の装禎で,黄表紙本と呼ばれていたそうです。本が登場する最初の例というのは,今回の展覧会に来ている<開かれた聖書のある静物>(写真4)これは,オランダ時代の最後に描かれたもので,全体はまだ暗い色調が支配的ですが,画面には,留金つきの見事な装禎の大判の聖書が開かれて置かれており,更に右下の方に,輝くようなレモン・イエローの表紙の本が一冊置いてあります。開かれた聖書の右頁上部の欄外にISAIEという文字があり,また右段の中頃にCAP(?)LIIIとかれているのが読みとれます。また右下の黄色い本の表紙にはEMILEZOLA/LA JOIE DE ていて,黄色い書物は,ゾラの『生きる歓び』であることが,見る者にわかるようになっているのです。このようにわざわざ題名を読めるように描いてあるのは,人々に知らせたいためです。そういう例はほかにも見られます。パリに行ってしばらくして描いた<3冊の本>は強いタッチで描かれていて題名がわかります。やや乱雑に積み重ねられた3冊の本の一番上の本は,表紙にJeanRichepin/Braves Gens/Roman Parisien(ジャン・リシュパン『立派な人びと』)他の2冊は,背表紙にそれぞれZola/Au bonheur des dames(ゾラ『貴女楽苑』)及びGoncourt/FileElisa(ゴンクール『娼婦エリザ』)とあります。また27 -

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