鹿島美術研究 年報第3号
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方のヴァージョンです。構図の点でも色の扱いの点でもやや単純な第ニヴァージョンは,ガッシェ氏のために描かれたもので,1949年にその子供たちからルーヴル美術館に寄贈されています(現在オルセ美術館)が,この絵は最初の方のヴァージョンと同じような構図でありながら画面に本が描いてありません。従って本があったりあるいはある本に題名が書かれているというのは,ゴッホの場合には非常に意図的だということがわかると思います。この「ガッシェ博士」の場合には構図から見て……似たような構図で,似たような色の配置……ただ黄色い本が2冊あるということで,黄色い点が造型上のポイントになっています。この黄色い表紙の本を画面に一つ置くということはく開かれた聖書のある静物>でもそうですが,これが非常に大きな造型上のポイントだということがわかります。しかし,それがない絵も描いているわけですから,造型的にはなくても一つの絵として成り立つわけです。「アルルの女」の場合もそうですが,絵は本があっても題名が描いてなくても造型的に成り立つ。しかし,ゴッホはこれがどういう本であるかということを知らしめたい場合がしばしばあったということになります。それは何かといいますと,妹の手紙にあったように自分はこれらの本を読んで真実の人生を知った,生きる現実の姿を知ったということ。彼はあくまでも真実を絵画においても人生においても追求します。そのためにこういう本を妹にも読みなさいと勧めるわけです。現実の姿を知るためにこういう本が大事だということで,画面の中にも『ジェルミニー・ラセルトゥ」や『マネット・サロモン』が描かれているのがそうなのです。それと同時にゴッホ自身大変に自己というものの表現欲の強い人です。とにかく僅か10年足らずの間に,900点近い作品,油絵など,それから無数のデッサンを残しています。そのエネルギーだけでも大変なものですが,同時にその間に膨大な書簡集も書いています。とにかく自分をなんとかして表現せずにはいられない人です。それが当然文学作品に対する態度にも表われており,彼はそのように生きる真実を見ると同時に,そこに自分自身の姿を見ずにはいられない,時には自分をそこに投影せずにはいられない人で,自己中心的な人と言って良い。ゴッホが亡くなって後にゴーギャンが面白い話しを残しています。彼の思い出を書いたアバンアプレの中で「1886年の冬の事だが一ゴッホが出て間もなくーゴッホが絵が売れなくて食物にも困っていたと後で書いているが,このゴーギャンの話しは本当にあったのか良く分らないが,少なくともゴーギャンのそう言う話しが伝わっている事は事実です。内容は,「絵が売れなくてお金もなく食物にも困ってゴッホは何日も食べずに苦労した。たまたまその時,運良く絵が一点僅かだが5フランで売れ,画商からそのお金を貰い店から出29 -

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