鹿島美術研究 年報第3号
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した。ドラクロアは黄色を使って光を表わしました。ドラクロアが光を黄色で表わしたという文章をゴッホは引用して丁度同じ頃友達に送っております。光というのは生命の表現ですから,ゴッホはそのことを非常に強く心の中に感じとって,自分はドラクロアがそうしたように,生命力を表わすものには光がある。その生命の基本の色を黄色で表すということをその後も活かしています。また尊敬する先輩のレンブラントの絵を模写した<ラザロの復活>これも生命の復活の話です。これは,ゴッホの数少ない宗教的主題の作品の一つで,レンブラントの同主題のエッチングを模写したものです。レンブランドの作品を模写するにあたって,ゴッホは見逃すことの出来ない改変を行っています。棺の中に横たわるラザロの姿はレンプラントそのままですが,復活の奇跡に驚く2人の姉妹は「原作」よりずっと目立つようにクローズアップされており,ポーズはほとんど同じですが,決定的な違いは,レンプラントの版画においては「奇蹟」をもたらしたのは,キリストであり,そのキリストの姿が画面を支配するように大きく描かれていますが,ゴッホの油絵ではキリストは描かれておらず,その代わり,レンブラントにはない黄色い大きな太陽が画面中央に描かれているのです。つまりここでは死せるラザロに再び生命を甦らせたのは,太陽にほかならないのです。この作品を描いていた頃,ゴッホは例の耳切り事件の「死」の世界を経たあとで,再び生きようと努力していたのです。<ラザロの復活>の中に描かれた太陽は,生命の源泉に対する彼の強烈な祈念を表わしているといってよいと思います。つまり太陽は光であり,黄色い太陽は生命の源であるということが,はっきりとここで表わされているわけです。従ってく開かれた聖書のある静物>の方の絵では光の消えた蜆燭,お父さんの死の世界と,明るい「生きる歓び」とのゾラの世界が,色の上でのコントラストをなしているのです。生命の色である黄色,光の色である黄色というのが,非常に重要な役割を果たしているのです。それは,おそらくゴッホがあれほどまで,「向日葵」にひかれた理由であり,太陽にひかれた理由でもあり,そして生命を求めていった理由なのです。<種播く人>これもまた,彼にとって非常にシンボリックな意味を持つ構図です。画面にみられる丸い輝くような明るい太陽は,もちろん光であると同時に彼にとって生命であります。そういったものが本を通して作品の中に表われています。これからご覧いただく時に,特に文学作品を書いたものはずっと一つの壁に並んでいますので,更にゴッホの内面世界に接近することが出来ると思います。-32 -以上

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