9.紅児会・赤曜会に関する資料調査る。すなわち,日中間の対応関係を具体的に探ることによって,中国様式の受容のの様相が明らかにされ,個々の制作年代の設定にとっても有力な判断材料が提供されるであろう。さらには,日本独自の伝統様式の形成という問題点も自ずと明確化されていくことが期待され,新たな視点を設けたこの調査研究の具体的・実証的な成果は,文様史,彫刻史両分野の研究進展にとって寄与すると考えられる。研究者:東京国立近代美術館主任研究官立体造形係長尾崎正明研究目的:大正期の日本画壇では,明治40年にはじまった文部省美術展覧会への対抗,または内部からの批判として,日本美術院,国画創作協会,あるいは金鈴社といった団体が再興,創設され,その中から極めて個性的な問題作の数々が世に問われていった。このことは,大正という時代が資本主義の発達のもと,大正デモクラシーという象徴されるように,自由主義,個性主義,ヒューマニズムといった真に近代的な精神が,一般的に根づきかけてきたことと密接な関連をもつもので,明治期の文明開化の思潮にふさわしい岡倉天心による精神主義,理想主義に基づく近代日本画の変革とも,大正期以後戦争にむかって逼塞していく社会情勢の中で展開していった昭和期の日本画とも,際立った違いをみせている。それだけに,この根は浅かったとはいえ,自我の解放という近代的意識の崩芽をも感じさせる大正期の日本画を掘りさげて解明することは,明治から昭和へ展開する近代日本画の流れ全体を俯暇する場合,非常に重要なポイントをなすものと思われる。今回の調査の目的は,東京におけるそうした動きの典型である日本美術院の再興直前から直後にかけて,裏からそれを大きく支えることとなった今村紫紅を中心として,明治末年から活動した紅児会,さらにそれを大正期にひきついだ赤曜会,この二つの研究会の全容,及びそれがもたらした影響を資料的に明らかにすることによって,大正期日本画壇の本質の一端をさぐるとともに,その全体像を描き出す糸口としようとするものである。-50 _
元のページ ../index.html#66