11.京都洋画壇におけるフランスアカデミスムの移入と展開ー鹿子木孟郎を中心として10.職人尽絵の基礎的研究ー諸本の分類と工芸技術史的考察一研究代表者:帝塚山短期大学助教授高橋隆博研究目的:従来,職人尽絵についての本格的な研究がなされなかった理由は,内包する要素が多種多彩で様々な分野にかかわる内容を持っていることと無関係ではない。そして絵画史では特異な立場を与えてきたことも作用している。逆に,それだけに描かれている内容を分析・検討する作業が残されているわけで,職人尽絵の性格と位置付けはそうした作業がなければ語れない。こうした問題を明確にするために,諸本を比較照合して系統的に整理しそれらに正しい性格付けと位置付けを行い,次いで絵画史の立場からだけでなく,工芸技術史からの視点で分析を加えたいと考えている。この研究はこれまで余り顧みられなかった職人尽絵を体系的にとらえ,その描かれている内容にまで立ち入って,職人尽絵の制作された意味とその果した役割を考えるもので,日本絵画史・工芸技術史に新しい展開と視点をもたらすものと考えられる。ー(継続)研究代表者:京都国立近代美術館主任研究官島田康寛研究目的:京都における近代洋画史は,幕末の田村宗立に始まり,明治35年の浅井忠の入洛によってフランス印象派を独自に消化した面風が導入されて飛躍的発展を遂げるが,方,明治37年に京都に移住した鹿子木孟郎によって旧派に属するジャン・ポール・ローランス系のフランス・アカデミズムの堅固な写実主義絵画の画系がもたらされた。この画系は関西美術院,アカデミー鹿子木における後進の育成によって展開するが,大正から昭和にかけての後期印象派,野獣派,表現派等ヨーロッパ新思潮の流入によって,その企図は次第に片隅に追いやられていく。しかし西欧的なリアリズムの伝統を持たなかった日本において,フランス・アカデミズムの習得こそ重要な問題であったわけで,従来日本洋画の弱体が説かれてきたのはこのことに由来する。そうしたことを考える時,鹿子木孟郎の写実主義の主張と,その芸術は再び新しい角度から検討されるべき美術史の課題である。幸い鹿子木の遺族の下には千数百点に及ぶ作品や資-51 -
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