鹿島美術研究 年報第3号
68/258

12.近世絵入版本の研究料が残されており,これらを調査,整理することによって,これまであまり注目されていなかった鹿子木芸術の全容を明らかにし,さらにその周辺の画家の作品をも検討することによって京都洋画壇へのフランス・アカデミズムの移入と展開の様相を跡づけ,その意義を再確認しようとするものである。鹿子木家に残る作品・資料の調査をすすめるうちに千数百点に達することが明らかとなり,継続して調査研究が必要となった。研究者:名古屋大学文学部助手大久保純一研究目的'.近世期の絵入版本(ここでは狭義の文主,絵が従のものに限らず,広く絵画を含むあらゆる冊子本を想定する)は,読本,黄表紙や金巻等の草双紙,絵入浄瑠璃本,狂歌絵本等,数多くのジャンルに分かれている。これらの多くには,当時一流の浮世絵師達が筆をとっており,錦絵等の一枚絵と並ぶ彼らの活躍舞台といえる。しかしながらこれら絵入版本は従来美術史の研究対象としては不当に軽視されすぎてきたと言える。主要な狂歌絵本は何度か断片的に紹介されてもきたし,また近年葛飾北斎の絵本挿絵が高く評価されつつあるが,その他の分野(特に草双紙挿絵等)に未だほとんど手つかずのまま残されている。これらはそれ自体,高い美術的価値をもつものであるが,また数々の興味深い絵画表現を見出すことができる。その一例としては,時間と空間の連続表現という手法があげられる。本来瞬間の相を表す絵画が,幅をもった時間と空間の連続性を獲得できるのは画巻(絵巻)という形式をとる時のみだとされていた。しかし,この連続表現が,実は近世期の絵入版本の中で実現されており,それも決して例外的ではないだけの作品数を挙げることができるのである。しかも,冊子本という頁間は分断された画面になるという形式を逆手にとって絵巻以上に高度な時間表現に成功しているものさえある。これらの他に演劇的空間(かき割り等)や演劇的姿態の導入などという興味深い問題も近世の絵入版本は多く秘めている。この研究により絵画の時間表現という大問題に一つの新しい資料を加えるとともに従来看過されてきた近世の絵入版本の絵画的評価を大きく高めるものと考えている。-52 -

元のページ  ../index.html#68

このブックを見る