13. ドイツロマン派におけるラファエッロ及びデューラーの受容とその造形表現研究者:実践女子大学文学部講師大原まゆみ研究目的:に大きな盛り上がりを見せた。代表的芸術家についての基本的研究書の刊行をはじめ世界各地の主だった都市で相次いで大規模な展覧会が組織され,以後の足場を提供した。新たな資料の発掘,新たな問題設定により研究の密度が増すとともに,従来とかくドイツの特殊現象として扱われがちだったドイツ・ロマン派を,伝統の中に,また同時代の全ヨーロッパ的な歴史の段階に位置づけようとする試みもなされている。今回の研究も,新しい段階に入ったドイツ・ロマン派美術研究に寄与することを意図している。美術におけるドイツ・ロマン派は通常かなり性格を異にする二つのグループに大別される。ひとつは北ドイツ・プロテスタント系の象徴的風景画であり,もうひとつはいわゆる「ナザレ派」である。申請者はこれまで前者を主な研究対象としてきたが,楯のもう一面である,「ナザレ派」も(芸術的達成度において多々問題はあるにせよ),ロマン派の全体像を理解する上で無視すすることができない。むしろ彼らの方が,国際的な美術の都ローマに定住することによって,フランスの美術と多くの接点を持ち,イギリスやイタリアに隠れた影椰を及ぼし,ドイツに新しいアカデミズムを築き上げたことから,美術史上に位置づけやすいとも言えよう。しかし,そもそも彼らがローマに移り住んだのは,南への憧れと反アカデミズムという極めてドイツ的にロマンチックな理由によっていた。にナザレ派を担い手とするラファエッロ及びデューラーの受容とその美術における表題の問題は,ナザレ派のこうした汎ヨーロッパ的性格と,特殊ドイツ的性格を共に照らし出すものとなろう。過去の美術家を描くこと,つまり美術史を美術作品化することは,19世紀にフランス・アカデミーを起点として流行を見,ラファエッロはその中でも好んで取り上げられた芸術家であった。しかしそれにデューラーを対比させ更に宗教的光輝で包むことは,とりわけてドイツ的な現象だったと言える。これには明らかに文学的ソースがあり,従ってラファエッロとデューラーの解釈,というと,これまでは文学ないし美術論の面から取り上げられるのを常としてきた。今回の研究では造形面により重点を置き,表現技法としてのラファエッロ的またはデューラー的19世紀ドイツ美術,とりわけドイツ・ロマン派に対する再評価の動きは,1970年代-53 -
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