鹿島美術研究 年報第3号
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15.書道史上における定家流の成立と展開絵画の実証的研究へ進めたいのである。そして,その様式の中に,他の時代の鹿児島の絵画と共通した精神が見られれば,日本美術史の中で,独自な地域美術史も確立できるのではないかと思われる。以上,尚古集成館の絵画に関する資料の調査の意義・価値が認識され,さらに,この調査は今回は江戸時代の狩野派の絵画の研究であるが,鹿児島の絵画史とその特質の研究にまで発達させる可能性を含んでいる。この結びつきの構想も本調査研究の大きな目的であることは言うまでもない。研究者:京都国立博物館学芸課研究員下坂研究目的:書道史上,書流という概念が強く意識されるようになるのは,室町時代末から江戸時代にかけてのことであり,それ以前においては,個人の書を尊重することはあっても,それを書流という形で継承していくことは一般的ではなかった。ただそれにもかかわらず,古くよりすぐれた個人の書は,その血縁者,後継者を中心に後世に引き継がれていたこともまぎれもない事実であり,鎌倉時代の藤原定家・尊円親王に源泉を発する定家流・尊円流(御家流)などはその典型的な例といえる。なかでも定家流は藤原定家という歌の分野においては第一人者ではあっても,書の分野では必ずしも当時高い評価をうけていなかった人物の書をその出発点とするところに大きな特徴がある。定家の書風は当初はその家系を継ぐ二条・京極さらには冷泉家の人々によって受け継がれていたにすぎなかったが,江戸時代に入るとともに広く一般の教養人にも親しまれるようになる。定家の書風がこの時代に至り,ようやくもてはやされるようになった背景には,当時の人々の寛永文化に象徴されるような王朝文化への強い憧憬と単なる王朝文化の模倣にあきたらず独自の美を見つけ出していこうとする意識,これらが互いに錯綜して存在していたものと考えられる。定家流の成立と展開を時代を追って探ることによって書道史上における美意識の変遷,さらには書風の発生について改めて考えていきたい。守-55 -

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