(1) 京都芸大資料は下絵に限られるため,より正確な土佐派絵画の全体像を知るため(2) 文書類が含まれているが,これらは東京国立博物館の「土佐文書」と相互に補なが判明する場合が出来すると思われる。には,本画の調査が必要である。本画を分析することにより,完成画における技法を明らかにすることができる。い合うものである。両者を合わせて検討することにより,より長期間,広範囲に渡る土佐家の背景を知ることができる。以上の点により,中世から近世に至る土佐派の画風の展開,支持層の変化などを総合的,系統的に明らかにすることができると期待される。27.日本漆工史における「加賀蒔絵」の成立と展開研究者:京都国立博物館京都文化資料研究センター資料管理研究室長研究目的:我が国の蒔絵研究の歴史は浅く,本格的な研究は,ここ半世紀のことといえる。特に近世蒔絵の実証的な研究は未着手に近い状況といってもよい。しかし,近年徳川幕府お抱え蒔絵師であった「幸阿弥」家についてかなりの作品,家系,業績などの事例が判明しつつある。これとその起源を同じくする「五十嵐」家を主流とする「加賀蒔絵」についてはほとんどその実像がつかまれていないのが実状である。近世蒔絵の展開を明らかにするには,幸阿弥家と共にこの「加賀蒔絵」(五十嵐系)の実態を追うことは不可欠な条件である。共に京都にあって足利将軍家に蒔絵師として仕え,桃山期に活躍し,一方は江戸時代京都から江戸へ,他方は金沢に行って代々その地に住み,技法・意匠の両面にわたって,それぞれに独自な家風を確立していったからである。本研究は近世蒔絵の一翼を担った「加賀蒔絵」を対象とし,主家たる加賀藩の消長を踏まえつつ,実作品の資料収集を通して,その実態を究明しようとするものである。灰野昭郎-63 -
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