鹿島美術研究 年報第3号
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30.宋紫石研究の定め方により,色色な分析方法がとられる。しかしそれらの多くの場合,各研究者が肉眼で捉えた所を他人に伝えようとする不確実な表現手段しかないのが現状である。また原画の復元にしろ,各種のシュミレーションにしろ,頭の中だけで想像せざるを得ないことが多い。我々が画像処理コンピュータを用いようと考え出したのは,これらの分析結果を広く他人に伝達可能な形の画像として,自らの手で作り出したいと考えたからである。現存のコンピュータはまだ専門家向きで,我々素人には難しい点が多いが,最近のコンピュータが画像(イメージ)を扱って目覚しい成果をあげているのを見ると,美術の分析研究に積極的に利用して行くことも興味あると考えられる。美術研究とコンピュータの結び付きは「画像」を仲立にして,今後緊密になるものと考えられる。研究者:東京芸術大学,美術学部教授山川研究目的:な民間画壇の育たなかった江戸画壇に,ようやくあらたな気運が台頭しはじめた時代であり,それをおしすすめた画家たちといえば,宋紫石をはじめとする長崎帰りの南頻派の画家たちだったといえよう。そこでは上方画壇にはみられない洋風画の勃興がみられ,他方,文罷,華山,椿山におよぶ関東独自の漢画系写実派の系譜が展開するが,それらのルーツに位置づけられるのが宋紫石の画業であった。宋紫石の画業は,一般に南頻派と見られているが,その主題は花鳥画にとどまらず,山水,人物画におよび,若干の富岳箕景図を描き,西洋画の模写さえ試みている。しかし,伝統的な東洋的用筆に固執した点では,あくまでも漢画の範睛に入れるべきだろう。宋紫石はむしろそれによってより広汎な支持層を集め,化政・天保期に展開する漢画系写実派の隆盛を招いている。浮世絵版画や,一部の急進的な洋風画家たちを除いては,研究者の注目をひかず,宋紫石の画業についても,いまだに本格的な調査がなされていない。筆者は以上に述べた観点から宋紫石の画業の意義を認め,その研究を意図するものである。18世紀後半の関東江戸18世紀後半における関東江戸画壇は上方画壇に比較してなお未成熟の状態にあって,といえば,それまで浮世絵版画を除いてはほとんど自由武65 -

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