(1) 土佐派についての総合研究研究者:文化庁文化財保護部文化財調査官宮島新調査研究の目的:土佐派は足利氏の勃興とともに世に出,滅亡とともにその正系は絶えている。室町時代と運命をともにした家柄といってよい。第一にその意味を問うことを目的とした。第二に,派祖,行光以来,光重,行広,行秀,光弘,広周,光信,光茂の画人の血族関係を明らかにすることを目的とした。第三には,土佐派の作品について明確な提示がなされているので各人ごとに,明らかにすることにつとめた。研究報土佐派は足利氏の勃興とともに世に出,滅亡とともにその正系は絶えている。室町時代と運命をともにした家柄といってよい。今回は,派祖,行光以後,光重,行広,行秀,光弘,広周,光信,光茂,光元及び,光茂の門人で,光元戦死後,土佐家の名跡を継いだ光吉の,代々の画人について,その履歴と遺品を明らかにすることを課題として,概ね,その目的を達することができた。ここでは光信と光茂の二人に限り,その遺品と考えられるものを列挙し,一部について説明を加えることとする。土佐光信は,系図のうえでは光弘の子とされているが,広周は晩年に所領を光信に譲るとともに朝廷に対して度々,光信の加級のことを申し出ている。その熱意の並々でないところから,光信は実際には広周の子ではなかったかと推測される。光信の卒年は不詳であるが,土佐家の資料は大永五年(1525)九十二歳没という説を伝えている。これについて確認することはできないが,長命であったことは確かなようだ。画歴は五十年にも及ぶという健筆家であったために遺品は少なくない。1.後円融院像(雲竜院)廷徳四年(1492)3.桃井直詮像(東京国立博物館)1.美術に関する調査研究の助成2.三条西実隆像(某家)文亀元年(1501)4.伝足利義政像(東京国立博物館)5.北野天神縁起絵巻(北野天満宮)文亀三年(1503)6.清水寺縁起絵巻(東京国立博物館)永正十四年(1517年)7.槻峯寺縁起絵巻(フリア美術館)明応四年(1495)-81 -
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