鹿島美術研究 年報第4号
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隠(No.96)と比べ雲泥の差がある。全体におほどかでものにこだわらない古淡の筆258)と延享4年(1747)63オに描いた蓮池観音を調べ得たが,それらによっても白隠10年(1760)76オで三島龍沢寺の開山の儀を行った白隠は,これ以降その絵や書を通内No.310)や雪中二祖図(竹内No.344)が挙げられるが,今回は実査できなかっ⑮草稿類くNo.675■677> 白隠は著作を数多く残しているが,年記の明らかな草稿類もかなりの数にのぼる。寒林胎宝(No.671)は古徳の偽頌法語を撰集したもの。⑯書状くNo.678■687〉白隠の思想背景,人間関係を知る上で無視できない資料である。⑰その他くNo.662■669〉山号(No.668),道号記(No.667)など⑪〜⑯までの書の分類中いずれにも当てはまらないもの。以上,附表Iに取り上げた作品の概要を分類に即してまとめてみたか,ここに全体的な傾向並びに特色を記し,今後の研究の指針とする。まず絵画関係では,比較的初期に属する60代中頃までの作品は作風的には狩野派による影開が色濃くみられ,その形成については彼の根拠地・松蔭寺のある沼津周辺に町絵師や画僧との交遊,更には中国明・清の仏画や絵手本,画譜類等の習得が予想される。最も若描きの在銘作品として,享保4年(1719)35オ作といわれる達磨図(竹た。この時期の作品では,わずかに延享元年(1744)60オの作と知られる役行者(No.の初期の特質は十分にうかがえる。続く60代後半から約10年間余は,いわゆる白隠画様式の樹立期とも目される時期で,画題は多彩を極め,作風においても緻密で充実した時期といえる。宝暦2年(1752)68オ作の蓮池観音(No.168)や同7年73オ作の隻履達磨(No.58)は基準作例であるのみならず,この期の最優品の一つと思われる。また宝暦8年(1758)74オ作の円相内白隠(No.96)は彼の画家としての資質を存分に物語っている。晩年の70代後半以降の作品は,画風も奔放となり,ある意味では作画上の諸々の拘束から解き放たれ,自由となったその悟りの境涯を如実に反映したものといえる。明和2年(1765)81オ作の樹下坐禅自画像(No.97)はさきの円相内白致は,白隠画あるいは白隠様式の完成が正にこの時期にあることを示している。宝暦じて民衆の接化の活動を更に活発化してゆくが,その際に人々に与えられて龍杖や一字関がまとまって遺るのもこの時期の特色である。次に書についてであるが,その最初期の正徳6年(1716)32オに記された濃陽富士山記(No.587)とその草稿(No.670)をはじめ最晩年明和5年(1768)84オに.... -87 -

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