鹿島美術研究 年報第4号
106/268

60代後半からそのスタイルは徐々に変化し,70代後半に至って独自の,やはり絵と同2.遂翁(1919■89)・東嶺(1721■92)の作品について29)など彼ならではのねじれた感覚を示している。人物評とは裏腹に,むしろ作品のれた一字関(No.459)まで,ほぼ全期間にわたる紀年作例を調査できた。その書風はロにいって当初,御家流を基盤とした力強くバランスの良いものである。しかし,様自在でのびやかな書風を確立する。白隠以後の禅師として,今回は「大器遂翁.微細東嶺」と称された二人の白隠の高弟に注目した。その結果,遂翁については合計32点(うち絵画29点,書3点。附表II参照),東嶺は合計41点(うち絵画31点,書10点。附表III参照)の作品実査を行うことができたが,いずれも白隠に比べてかなり少数で題材の上でも片寄りがみられるため,その全体像を見すえての考察は現時点では不可能というほかはない。ここではごく限られた範囲内での両者の絵画的特色を簡単に記し,今後の資料の集収と検討にゆだねたい。遂翁は白隠の没後,松蔭寺を継ぎ,池大雅との交遊も知られている人物である。その作品は謹直な鋭い線で緻密に描いたいわば楷書体のもの(No.4の南泉一円相など)と,興のおもむくままに筆を走らせたかと思われる草体のもの(No.15の拾得など)の二種に大別できる。殊に伎伯という面では師の白隠に勝るとも劣らない。一方,東嶺は三島龍沢寺の創立に奔走し,その二世となる。また白隠の年譜を著すほか多数の著作を残している。その作品は独特の創意をみせ,六祖(No.5, 6)や茶柄杓(No.性格の上からは「大器東嶺,微細遂翁」というべきものが認められる。-88 -

元のページ  ../index.html#106

このブックを見る