鹿島美術研究 年報第4号
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るが,その終りに近いところに小円柱の装飾を位置づけることができるのではないだろうか。装飾小円柱という建築テーマは,このあと1160/70年を境にしてフランス北部及び英国では姿を消してゆくのに対して,人像柱は将来の豊かな発展を約束されたモチーフである。しかしシャルトルでは,これら2つの主題に,「ロマネスク」と「ゴシック」といういささか図式的な対応関係をみとめるよりも,2つの異った層の共存に目を向けるべきであると思われる。そして,先に言及したアーキヴォルト外縁の彫刻とともに,小円柱に施された彫刻は,これまでシャルトル大聖堂西正面に関して語られることの多かった端正で厳格な美しさの他に,装飾的自発性に満ちた,生き生きとした美感も重要な役割を演じていることを知らしめないではいない。シャルトルの小円柱に装飾モチーフを近隣の,とりわけパリ及びパリ周辺の教会堂の装飾と比較することが可能である。例えば,パリ,サン=ジェルマン=デ=プレ教会内陣祭室の柱頭や,サン=ドニ大修道院附属教会堂廻廊の柱頭などを最良の比較の項として挙げることができよう。これらの彫刻は,1150-60年頃に制作されたと考えられ,筆者の提案する小円柱の制作時期にひとつの根拠を与えると思われる。モニュマン・イストリック(フランス文化財保護局)に収められた文書により,1967年から1972年にかけて行われた,「王の扉口」の修復工事の経過と範囲が知られる。19世紀半ば,ラッスュのもとで行われた修理に次いで重要なこの工事は,主として,損傷の著しい一部の人像円柱の取り外しとそのコピーヘの置き換えを目的としていたが,公文書には言及されてはいないけれども,小円柱も一部取り外され,コピーに置き換えられている。これらのコピーは,1970年に2人の彫刻家によって制作され,1972年に現在の位置に設置された。オリジナルの小円柱にはみとめられない細部がコピーには付加されていることに注意しなければならない。フランス北部及び英国に,シャルトル西正面とほぼ同時代(1130/40-1160/70年)の装飾小円柱の作例を多数見い出される。ここでは,それらすべてに言及することは不可能であるので,いくつか重要と考えられる作品を選択的に扱うことにしたい。(1) サン=ドニ大修道院附属教会堂。クリュニー美術館に現在展示されている2本の小円柱の他にも,ェクーアンとサン=ドニ歴史博物館に所蔵されている断片がある。断片もオリジナルであると結論できる。19世紀の修復を受け,内陣で祭壇の支柱として再利用されていたと考えられるこれらの断片の彫刻は,サン=ドニの12世紀の18世紀末に制作された,革命以前の扉口の状態を示す版画との照合から,これらの-98 -

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