鹿島美術研究 年報第4号
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彫刻について全く新しい資料を提出する。これらの小円柱の細部の観察から,シャルトルと全く同一のモチーフが彫刻されている小円柱があることが知られ,シャルトルとサン=ドニとの密接な関係を裏付けるが,様式的にはこれら両者が多少の隔たりを持つことも否定できない。(2) サン=タルヌー=アン=イヴリーヌ教会堂。アプシス内部,南北のランセット窓側柱に不規則に積み上げられた,台座,小円柱,柱頭,冠板といった建築要素が,当初から現在のような状態であったのかどうかについてここで結論を下すことは不可能である。これらの小円柱のうち,2個のドラムの装飾はシャルトルのそれと極めて近い。更に,足元に猿として表わされた悪徳に勝利する美徳の擬人像は,装飾小円柱よりもむしろ人像柱と呼ぶべきであろうが,こうした定義の問題は別として,「王の扉口」左入口左隅切の三体の人像柱が同一主題を表す可能性との関連からもこの作例は興味深く思われる。また,柱頭のうち三基には,3つの一貫性のある場面が表現されており,その図像の分析も研究の課題である。(3) トリ=シャトー,サント=マリー=マドレーヌ教会堂。西正面扉口の左右の隅切とりわけ様式の上でこれまで言及した作例と大きな距離を示し,フランス北部のグループの中でもっとも遅い年代を与えることができよう。(4) クーロン大修道院附属教会堂。廻廊に由来するとされる2本の円柱がルーヴル美術館に所蔵されているが,その彫刻は,12世紀中期のブルゴーニュ地方のイール=ド=フランスにおける影靱を立証する例としてしばしば引用されてきた。しかし,彫刻による装飾を伴う円柱は,ブルゴーニュよりもイール=ド=フランスにはるかに数多く見い出され,クーロンの彫刻について現在までなされてきた様式分析も検討の余地を残すものと思われる。パリ第1大学に提出した博士論文においては,50近いモニュメントの彫刻による装飾のある小円柱の詳細なカタログを作成した。その中で英国の例の占める割合はかなり大きいが,ここではそれらに触れる余裕はない。小円柱あるいは円柱に装飾を施すことは,古代にまでその起源を求めて遡ることができるが,現実のモニュメント,更に様々な分野・素材の作品(対観表装飾,象牙,ブロンズ,貴金属工芸,石造十字架支柱,その他)を通じて12世紀までこの建築的テーマは伝えられた。その中でも,ガロロマン時代の装飾円柱は重要と思われ,その大に3本ずつ配された小円柱は,ひとつを除いてオリジナルであるが,その装飾は,-99 -

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