鹿島美術研究 年報第4号
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滋賀•井伊家蔵条の蒔絵師との結論を得た(年表参照)。これにより少なくとも桐唐草手箱及び同技法の桐手箱2合の作期がほぼ社伝通りであったことが知られる。室町蒔絵の大きな特色である図様構成や技法が既にこれらの手箱に認められることで,その中世蒔絵史上に占める位置がより明確に定め得る。甲盛り・胴張りが強い入角の形式や,洲浜上の籠に菊の図様が空間をあまりあけずに画面一杯に大きく表される点,単弁の菊花,薄肉の高蒔絵等からは,一見鎌倉時代的特色が感じられる。しかし菊枝や流水のやや固い描線,蓋裏の四隅ではな〈三方に菊枝を配する手法,かなり細かく整った蒔絵粉の形状等を勘案すれば少々時代の下がると考えられる。特に蓋裏の構成は,その形式から室町前期とされる笹松枝散蒔絵手箱(五島美術館)や菊枝蒔絵手箱(東京国立博物館)の蓋裏の構成と同じでありその作期が知られる。その図様は,左方に片寄せてi州浜上に大きく菊を表したもので,薄肉の高蒔絵に金銀切金を散らす技法と共に室町特有のものである。特に2本の枝を交叉させて右上に広がる菊枝や,複弁の菊花の表現は(1)の手箱中の籠菊手箱のそれに近似し,かつ洲浜・岩の手法にしても一群の手箱と同一のものである。加えて文台の形式上からいえば,現存する中世文台中では最も小振りであり,その最古例であることを物語っている。<幸阿弥蒔絵〉かつて岡田譲氏によって室町時代の幸阿弥派の作例の模索が試みられているが,ここでいささかの補足すべき根拠を提示し再考する。先ず第一に,「幸阿弥家伝巻」に二代道清作と記された作例を検討した。この道清は蒔絵師としては実質的に初代であったようで,足利義政の寵を受け,いわゆる東山時代に活躍している。家伝巻に記された作例としては,①鳳凰硯箱(以下註記略),@鶏之文台,◎梅枝硯箱,⑤刈田硯箱,⑮短尺小硯箱がある。〇屯)は共に鳳凰一羽,鶏一羽だけを蓋表に大きく配した簡明な意匠。◎では蓋表の図様が今一つ詳かでないが,蓋裏には琴・琵琶・笛を取り合わせており,源氏物語中の「梅枝」の巻から取材したことがわかる。ここでも伝統的な叙景表現ではなく,判じ物的な象徴的意匠である。⑤は不詳であるが,Rはいかにも鳥獣戯画を初彿とさせるもので,近世以前の蒔絵意匠としては他に例を見ない。(3)菊蒔絵文台(2) 我宿蒔絵硯箱2.幸阿弥蒔絵と五十嵐蒔絵再考東京・サントリー美術館蔵-101-

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