鹿島美術研究 年報第4号
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明に残っている左右側面帯の文様についてその構成する要素を系統的に分析すると,伝統的な雲文とパルメットに加えて,牡丹とみられる正面描の花やインド風の葉先を反転させた形式が新しいものとして興味をひ〈。この複雑な唐草は,正に初唐に中国独自の植物文様が形成される過程の一様相が明快に表している。650年代〜660年代にかけては新旧のスタイルが混交する大きな変化のあった時期と考えられるが,この遺品はそれを証明する格好の資料である。同年銘を持ち,なお隋風の古いスタイルを保している道因法師碑と並んで置かれているので比較にも都合がよかった。また文様中にインド風の反転形式がみられることについては,この碑が玄笑にゆかりのあることからもそこに新たなインドからの影閻を推測してよいだろう。インド風の要素は十ー神将像の肉身の量感を強調した表現や独特のかたちの髯にもうかがわれる。これらは初唐の彫刻史の変化を考える上でも数少ない中央の基準作例として見逃せないであろう。*記年銘の墓誌石碑林第五室奥の回廊には西安近郊出土の墓誌石が煉瓦壁に嵌入されており,いくつかは台上に据え付けられている。この中には隋在銘のものが10点以上含まれている。墓誌を解読し,装飾文様を調べたが,肝心の側面帯の部分が壁に嵌入されたものが多いのが残念であった。文様部の彫りは比較的粗いものが多かった。伝統的な四神を除くと装飾はすべて唐草で,2種類あるがパターン化している点が注目される。一つは北魏から継承するパルメットで,他の一つはインドからの影特かとみられる大きく翻るパルメットである。特に後者はすでに北斉の南北聾堂山石窟にその先駆がみられるもので,隋に流行したことがこれらの数の上からも推測できよう。またその表現は,初の開皇年間から末の大業年間に至るまで全く変化をみせない。正に隋代を特徴づける文様といってよいだろう。(2) 臨滝県博物館(臨滝県)物三楼から成るが,そのうち中央の一楼のみが公開中で他は未だ建築工事中であった。展示品は本館近郊の慶山寺址からの出土品が大半を占め,その他おびただしい数の小金銅仏(いずれも唐代)が右隅のコーナーに雑然と並べられている。館内は明る<,遺品はガラス内に壁にたてかけて展示され,更に拓本が並べ添えられてあるので図像はよく判別できる。しかし写真撮影は禁止されていた。許可の申請を行った上で再調査を希望したい。1984年10月開館の臨滝県博物館は華清池,兵馬桶に隣接し,唐様式の極彩色の建造-108 -

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