(6) 香積寺(長安県)(7) 興教寺(西安市南郊外)しか手にはいらなかったが,今回,全箇所を写真撮影することができた。また新たに発見された墳墓からの出土品が3件追加されていたが,その報告が発表されていないためか撮影禁止だったのが残念であった。(5) 乾陵(乾県)乾陵は高宗李治と武則天の合葬陵で,他の墳墓とは比較にならない規模を誇っている。その長く続〈墓道の両脇には人物と動物の石彫群が多数残っている。石彫群の方形台座の側面には装飾文様が線刻されている。乾陵は高宗が没した弘道元年(683)に造営が開始されたと見られ,石彫群の制作年代もその辺を大きく外れることはない。「乾陵石刻中的線刻画」(『考古与文物』1983-1)に報告されて描き起こし図をたよりに一つ一つ現物に当ってみたが,ほとんど不鮮明で二三のものを除いては写真ではよく見えなかった。文様は宝相華唐草が大半をしめている。これらは初唐様式の基本を踏襲しているが,8世紀の盛唐に入ってから徐々に顕著になっていく傾向であるので先駆的な進んだものと考えてよいだろう。西安市の南方の長安市の郊外に位置する。現在も3つの大殿をもつ大寺であるが,唐代の建造物は善導舎利塔のみである。塔は煉瓦造りの11層方形で,大雁塔よりも精巧で美しいかたちをしている。『支那仏教史蹟』1に拓本が載っている天部像の存在は確認できなかった。少なくとも現在は寺内にはなく,塔内を調査した際にもそれらしい痕跡はなかった。その他寺の門の外側に煉瓦造りの小塔があり,これも唐代の作と思われる。唐代の建造物には装飾文様はほどこされていなかった。西安市の中心から南方20kmに位置し,本堂その他は明代の建造物であるが,南西にある玄芙三蔵の舎利塔は唐総章2年(669)に当所に改葬した際に記念として建てられた当初の様相を伝えている。塔は煉瓦造りの五層方形で,簡素ではあるが力強い印象を与える。装飾文様や仏像などの造形はなされていなかった。-110
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