鹿島美術研究 年報第4号
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(8) 京都洋画壇におけるフランスアカデミズムの移入と展開ー鹿子木孟郎を中心てして一(共同研究)〔継続〕研究代表者:京都国立近代美術館主任研究官島田康寛調査研究の目的:明治37午に京都に移住した鹿子木孟郎(1874■1941)がもたらしたジャン・ポール・ローランス系のフランス・アカデミズムは,関西美術院,アカデミー鹿子木における後進の育成によって日本に根付くかにみえたが,大正以後のヨーロッパ美術の新思潮の導入によって,次第に美術界の片隅に追いやられていった。しかし,西欧的なアカデミズムの伝統を持たなかった日本においてフランス・アカデミズムの習得は重要な課題であったわけで,今日指摘される日本洋画の弱体という原因もそこにあると考えられる。このことは鹿子木芸術の再検討を促すものである。幸い鹿子木家には千数百点に及ぶ作品や資料が残されており,これらを調査,整理することによって,これまで余り注目されていなかった鹿子木芸術の全容を明らかにし,更にその周辺の画家の作品をも調査することによって京都洋画壇へのフランス・アカデミズムの移入と展開の様相を跡づけ,その美術史的意義を再確認しようとするものである。研究報告:調査は前年度に引き続き,作品を集中的に調査することとし,写真撮影,採寸等を行い,本調査のために印刷した写真資料カードの作成に主力を注ぎ,現在カードは約1,000点を作成した。このうちには,油彩画,水彩画,素描,版画などが含まれ,作品としての価値を有するものは,別に小冊子としてまとめた「鹿子木孟郎作品調査リスト」のとおりである。(この小冊子にはジャン・ポール・ローランスの作品のほかに,明らかに他の作家のものと思われるものも含まれているが,このことを付記しながら同時に収録した)。鹿子木作品は,最初期の天彩学舎(岡山)時代のものから,不周舎時代,教員時代,三度に亘る滞欧時代,京都時代と全時代をカヴァーしており,中でも,早い時期の鉛筆あるいは木炭による素描は,他の画家の同時代の作品がほとんど遺存しない現状を考える時,ひとり鹿子木孟郎にとってのみならず,一時代の様を知る上においても貴重である。各作品の制作年の推定,完成作品と習作との関係,技法上の影聾等の考証については今後の課題である。また,ぼう大な資料類の調査も今後,まだまだ長い年月を要するが,一応の目録だけはようやく整え得る状態にまで近づきつつある。なお,この調査による作品資料は,研究員加藤類-111 -"

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