鹿島美術研究 年報第4号
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精粗」として,文化年間の豊国になって挿絵の精緻化が急速に進歩したことを述べているが,この点により,細部を描き分けることで役者間の区別をはっきりさせられるため,この時期になって一層の拍車がかかったのではないだろうか。ところで調査の過程で,この役者似顔の多用という合巻挿絵の手法は,天保年間以後少しずつ減少し,幕末に至っては,むしろ用いていない例の方が多いのではないかという気がしてくる。このことは,松本幸四郎や三世坂東三津五郎,岩井半四郎などの人気役者が天保から弘化年間にかけて相次いで世を去ったことにもよるが,また柳亭種彦作,歌川国貞画のコンビで文政十二年に初編を刊行した『偽紫田舎源氏』が大ヒットを飛ばし,天保13年の38編で官憲の断圧により禁止されるまで続編を刊行し続け,他の合巻作品や錦絵までもこの「田舎源氏」に倣う作品を生み出し,田舎源氏ブームが起こったことも作用しているであろう。合巻の場合,本文の内容のみならず,挿絵の人物の容貌までもこの「田舎源氏」のスタイルを追ったものに統一されてゆく感がある。合巻の世界も,文化年間の山東京伝,歌川豊国のコンビのリードする時代から,文政後期から天保へと,柳亭種彦,歌川国貞の世へと移り変っていくと言える。また,全〈の副次的な成果であり,今回の研究目的には版本の書誌学的検討までは含んでいなかったが,いくつかの役者絵本をその複数の版において比較検討することが可能となった。以上の1,2は版本挿絵それ自体を調査の対象としてものであったが,その他に浮世絵史の副次的資料として見出されたものかいくつかあった。これは,風景画ことに江漢,田善らの洋風版画をその銅版の線まで模した図をそのまま挿絵に転用している例がいくつも見出され,浮世絵の風景版画成立の過程において,これら洋風銅版画の影粋と,その果たした役割について考察する上で重要な資料となり得るものであろう。3.絵画資料としての版本挿絵-115-

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