れの美術館も主題による事項目録が全く,あるいは不完全なものしか備わっておらず,絵画はともかくぼう大な版画類の中から該当作品を探し出すのは短期の滞在ではほとんど不可能であった。従って館員諸氏の助力にもかかわらず,新たに発見された作例は少数に留まり,また既に公表されている作品群の示す傾向を覆えすような新知見をもたらすものではなかった。他方文献については,問題を複雑にする多様な方向をすものがその後半年では消化し切れぬほど集まり,その一部例えば18世紀末より相当数書かれた芸術家小説又は戯曲,あるいは芸術家の祝祭の成立や演出法と美術との関係については,美術史の枠を越える視野をふまえた個別研究が必要となろう。以下の報告は現段階での成果の概略である。1.美術批評におけるR.とD.(造形分析の予備段階)つある。ひとつは古典古代に栄えイタリア・ルネサンスが継承・再興した`正統的’’芸術の代表者として彼がもたらした規範的理想美に対する美的評価(成熟期の作品を重視),もうひとつは人間性の評価である(R.の人柄の良さについてはヴァザーリが繰り返し言及しているが,新古典主義はそれをゲーテ=シラー的概念「美しき魂」として把え,更に多分に理想化する。即ちR.が多くの愛人を持ったのは地上の一女性の不完全な美では満足できなかったからであり,早逝の真因は御乱行でも誤った医療処置でもな〈地上はもはや彼に相応しくなかったからである)。この人間性の高さと,多くの優れた宗教画を描いたことは,形式美以上に作品の内容や尊厳を問題にしていたクロップシュトックらの要求にも叶うものだった。ロマン派では普遍的・規範的美の絶対視は既に揺らぎを見せ(とはいえベルリン及びドレスデン・アカデミーの出品作を眺めると,R.は1800年代・1810年代でも最も多く模写される画家で,1820年代から1830年代初めにかけて模写の数はピークに達し,その後突如激減する。これで見る限りR.的美の規範の実質的溶解は1830年代半ばに,つまりロマン主義の世代交代期に起こったのではないかと推測される),R.評価はむしろ神に祝福された天才という面に重点がかれた。古代及び同時代の芸術を意欲的に吸収した知的構成的側面は不問とされ,夢と霊感に導かれ非合理的に超地上的美の創造を行う純粋かつ敬虔な,しかも美しい少年というイメージが出来上がり,擬似聖人として崇敬の対象となる。宗教画(特に若描きの)がその主題の高さと優しい心情ゆえに高〈評価された。このいささか感傷的で朦朧とした個人崇拝は,やがて美術を変遷するものとして把えようとする歴史的1-1.凡ロマン派の批評の前提となる新古典主義におけるR.の評価のポイントは二-117-
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