し2-2には例のないR.とD.の特別の友愛というロマン派の血を引くモチーフが1820年ダーに典拠を持つ創作観としてすぐれてロマン派的である。また1825年ニュールンベルクのD祭を飾った透明画D.伝連作は,各場面をすべてキリスト伝ないし聖者伝の図像を借りて表現している点では,説話的といってもむしろ前項(2-1-1)に収めるべきもので,フランス・アカデミー系統の伝記表現とは,はっきり区別される。R.とミケランジェロの後ろ姿のある薄明の風景画という極めてフリードリヒ的な設定を持つカールスの作例は,恐らくドイツ以外では成立しなかったであろう。協会,''ヴァルハラ"等には,内外装として,または屋内展示として,像が登場した。それにはし文化人たち)がグループ毎に,あるいは全員で一堂に会すものがある。この時扱いの重要度に差をつけるものと全員の比重が同じ場合があるが,概して彫像やフリーズは後者を取り,絵画では扱いに変化をつける場合が多いようである。コルネリウスのアルデ・ピナコテーク内開廊装飾のように,24区画のうちどの位置を当てるかによって重要度を示唆するものもある(この場合R.が頂点として中心区画を占める)。こうした建築装飾はあらたまった場にあるためか礼賛気分を漂わせるものも多い。2-1に登場代のボン大学及び80年代のデュッセルドルフ美術館壁画に認められる。に美術家を添えるものヴィーン美術史博物館の,ハプスブルク家下のルネサンスを称える天井画では主役はマクシミリアン一世でその傍にD.がはべり,やや離れてR.を含む芸術家群を配す。美術家の連帯の(ベルリン若手芸術協会のカードに見られる矢束を持ったD.の寓意的表現),ニュールンベルクないし黄金時代のドイツ文化の(ハンス・ザックスやアダム・クラフトらとともに),ゲルマニアの(その他の歴史的に重要な人物とともに)。2-4.シンボルとしてのデューラー像文化的連帯の(ニュールンベルクのD.記念碑),2-3.教化的プレゼンテーション19世紀に多数造営された美術館,美術学校,美術2-3-1.特定のプログラムを持たずに著名な美術家の肖像が列挙されるもの2-3-2.歴史的体系化に従って時代や地域,流派ごとに分類された芸術家たち(ない2-3-3.美術のパトロンとなった支配者あるいはその一族の称揚を主目的とし,それしばしば美術家-121-
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