鹿島美術研究 年報第4号
143/268

76枚の絵画,その他が発見された。中将様とは,島津家25代島津重豪(1745-1833)のきな発見であった。このことに関しては,田村省三が研究を続けることになった。同じく,磯庭園内に宝蔵庫において,「中将様御勤之控」と記された木箱から,総計ことである。その内容は,出嶋図などもあるが,御白書院・御黒書院御礼席絵図,西丸大広間御白書院奥同絵図など,江戸城の座敷図を中心とした細かい内容の絵図であった。絵図にかかれた年記は,明和元年(1764)から文化3年(1806)にわたっており,その歴史性と関連させて,更に研究を進める必要があり,今後の課題となった。(以上の項は,永田雄次郎担当)今回の調査において,犬追物関係資料の調査研究も,極めて重大な意味を持っていた。犬追物資料については,主に松尾千歳が担当するところとなった。犬追物は,走る犬を騎馬で追物射し,その当り矢を競うもので,鎌倉時代から室町時代にかけて全国的に流行したが,戦国時代に衰退し,江戸時代の初めには島津家が張行しているだけとなった。島津光久(1616-1694)は,正保3年(1646)に有力大名・旗本を芝邸に,翌4年には将軍家光,諸大名・旗本を武蔵国王子村に招いて犬追物を張行し,以来,島津家の犬追物は全国的に著名となった。しかし,島津家でも,延享・寛延のころ途絶えたらしく,安永3年(1773)再興され,明治24年(1891)ロシアの皇太子ニコライ2世のため島津忠義(1840-1897)が張行した犬追物を最後に,その幕を下ろした。このため,島津家には数多くの犬追物資料が伝来し,それらは東京大学史料編纂所及び尚古集成館に現存する。尚古集成館には,行騰・犬射幕目・犬射篭手などの諸道具類,古文書犬追物図巻,絵図類など約500点が収蔵されているが,いずれも未調査で,今回,尚古集成館収蔵の犬追物資料をすべて開けたところ,室町時代から明治時代までの貴重な資料であることが確認された。犬追物は,美術史上においても武家風俗画として描かれているが,犬追物の故実,歴史など詳細については不明な点が多い。しかし,例えば,桃山時代から江戸初期に制作されたと推定される犬追物図巻のような尚古集成館の資料は,犬追物の次第を正確に,かつ絵画的に優れた表現を持って記述している。これは,犬追物のあらましが窺える重要な美術作品でもある。その他,王子原犬追物図のような,記録性において重要な資料も存在している。また,諸論文で「犬追物は元和8年(1622)島津忠久が再興した」とある。しかし,-125-

元のページ  ../index.html#143

このブックを見る