(1915年頃の裸体の木炭自画像など)。だがムンクの自画像において規範的なのは,②③ ムンクの自画像の諸特徴く両極的位置規定〉そこでムンクの自画像を精査しよう。イエトリカは「多くの自画像は我と汝に分割された人格の表現である。」と言い,ムンクの自画像では自己愛と自己憎悪がすぐ前後して,或いは併存して発現し,そこに固有の心的分裂が認められると述べている。かような自已に対する両極性視座は,画業の全期に認められる,例えば32歳のリトグラフ〈骸骨の腕ある自画像》では,若きムンクは硬い襟で自分の首を締めあげ,練達の腕を白骨と化すことによって現世の自己を否定する。彼は白骨の背後の言わば`柩空間”に位置し,霊と肉,死と生,内と外という二元論の枠の中で,前者から後者を批判する場を得るのである。だが同年の〈地獄の自画像》では,視座は反転する。やはり冥界に自身を置きながら,彼は地獄の業火をおのが裸身を際立てる照明具として扱い,「男の美しき肉体の匿名性が容貌の人称性に克つ」ような結果を拓く。ナルシスの誘惑が,リトとは対賠的に霊よりは肉,内よりは外へと彼を向かわせる訳だが,どちらも紛れもないムンクの自我状況なのである。最晩年の自画像〈時計とベッドの間》でも,こうした相反的な諸力がせめぎ合う。作者の左右に,指針と文字盤を欠いた陰な大時計(死)と,裸婦像の下の賑わいだベッド(生)とを配したトリフ゜ティック風な構成は,死への内なる退行と生への外なる前進とが両極的に作用する画割を提供する。そして作者は,窓枠が投げる十字の影に聖化された自身を,この両極的な諸カの渦中にてらいなく立たせるのである。くその展開〉むろんムンクにも,両極性が十分に活性化されていない自画像がある。先の自画像の制作構造(参考図)にてらすなら,①の区画で描かれた作品には,作者は鏡像の自己異化に促されて自己の実像を回避・粉飾し,公的に見られるべき儀容的な自己の願望像を託しがちである(「最も表面的」な1905年の水彩自画像など)。また③の区画では,自己に親縁な鏡像性格に基づいて,作者はナルシスティックに自己内に退却する自己の他在化に誘われながら自己の固有性に的を絞り,④自己の他在化に向けてあり得べき自己の可能性を渉猟するという,自他の両極性が拮抗する自我状況の追求である。そしてこれらの自画像は,「闇」から「光」に向かう彼の作風展開のシステムに沿って展開する。「生のフリース期」では時代の精神状況が進んで自我状況の比喩として-142-
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